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久々のフットサルで昔を思い出す。

先日、久々にフットサル部活動に参加した。東京の方ならご存知、新宿にあるビックロ(ビックカメラとユニクロの複合施設)の屋上にあるフットサルコート。ボールを蹴ること自体3ヶ月ぶりくらいだと思うのだが、年齢のせいかそれとも実力なのか足が全然ついてこない。

わずか一時間半ではあったのだがやはりサッカーは楽しい。アミーゴとボールを蹴り合う時間は楽しすぎてあっという間にタイムアップ。何本もゲームを行なってちょっとずつ勘が戻ってきて、足にまともに当たるようになるころに終了するのは如何にも僕らしいと感じる。

プライベートで大阪に帰ることがほぼ無いため、中々セレッソ大阪ファン、サポーターの方ともボールを蹴るという機会が少なくなっている。最近は蹴球堂サッカー大会なども企画できず残念な状況ではあるのだが、意識だけは持っていたい(それが駄目だとよく言われる)。

そういや最近よく、その昔に試合終了後の長居スタジアム(当時)の外で飽きもせずジュゼッペ・シニョーリ(古!)の左足とか真似しながらひたすらボールを蹴っていたことを思い出してしまう。あの頃はいろんな大会にも出ていたなとか、なにより身体がよく動いていた(笑)

引っ越してから近所に広場も無くなった(公園が犬禁止)ので、愛犬ともボールで遊べていない。散歩に行く回数が増えたのでストレスは増えてはいないだろうが、サッカーボールが大好きなワンコとたまには一対一をしてみたい、そんな気持ちが高まってきているのだった。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

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