スキップしてメイン コンテンツに移動

始まり、終わり、また再生する。

先週セレッソ大阪から福満隆貴選手と秋山大地選手が期限付き移籍した。我がチームにとって共に重要なプレイヤーでもありかけがえのない選手でもあるが、これは終わりを意味するのではなく再生への序曲でもある。次に戻ってくるときは何回りも大きくなっていてほしい。

全ては始まりそして終わる。ひとつの例外を有することもなく。僕の人生もこの世界もどこかの誰かも、始まり、終わり、また再生する。そんなことの繰り返しでこの世の中は循環している。だからこそ楽しい。だからこそ悲しい。だからこそ「生きている」と実感できる。

そんなふうに生きているある日。(某映画監督の勧誘による)ひょんないきさつにより「ロリさつ」という映画に出させていただいたことで「秋葉原女優アイドル・プロジェクト『ピカ☆マイ』(ピカマイ)」と「ロリさつ」の主演女優であるリーダー菅原彩香さんと出会った。

そのピカマイが7年間の活動に終止符を打ち遂に解散(全員が卒業)することとなり、その最終公演を見るために秋葉原へ向かった。ピカマイの舞台は5月に新宿村LIVEで行なわれた「えんとつ街のプペル」以来(このエンディングでリアルに解散発表を聞くことになったわけだが)。

会場には実に入りきれないほどのファンが最後の姿を見るために集まっていた。盛り上がりすぎてイベント自体は2時間押しとなり、14時に始まってから実に6時間が過ぎた頃に監督と僕は秋葉原をあとにした。最後に菅原さんとも話すことができて本当にありがたいと思っている。

僕は深く応援するわけでもなく菅原さんがいたからこそピカマイの最後を見届けようと思った。そんなにわかファンであっても、この7年間、菅原さんが多くの出来事と共に走ってきたのは想像に難くない。最後の最後に吐き出す言葉にはその心境がすべて含まれていると感じた。

そんな重荷が、見るからに細い双肩にのしかかっていたのだなと思うとリーダーという役割がとても辛く厳しいものだと気づく。彼女を通じて僕はそれを学んでいたのだった。この先も芸能活動を続けるのだと話していた姿は少々疲れ気味だった。まずはしっかり休養が肝要だ。

多くのアミーゴがアイドルを応援する気持ち。それがこの数年で少しだけ分かってきたような気がしている。星の数ほどアイドルや女優さんがいるなかで彼女たちを応援する理由がそこに確かにあった。たまたま僕は映画だった。これからも菅原さんを応援し続ける。そして未来へ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

未来のウルトラ。

久々のブログである。なかなかどうして、何を書こうかと悩んでいる自分がいた。もうひとつは #コールリーダーウダウダ の存在が大きい。ここで毎週セレッソ大阪のことを話しているからかもしれない。なんだかんだでかれこれ八十回を超えてきた。 実に多くの方にも聴いてもらえていることに満足してしまっている自分もいたりして、少し戸惑いがあるのも事実だ。これを皮切りに、他のサポーターが続々とTwitter Spaceを始めてくれていることこそが、嬉しい気持ちに更に拍車をかけていく。 逆に、このような年齢になってなお、このような表舞台に立ってよいのかとも思ってしまう。若いサポーターの方々がもっと前面に出てくる世界を期待しているのだが、話を聞くたびにまだまだ古参サポーターがいて成り立つ世界だなとも感じる。 最近のスタジアムを見ていても、応援、チャント、という観点ではチームはまとまっていると見えるものの、チームのサポートはそれだけでは無い。そこにはフラッグもあり、チームや選手に対する、ゲーフラや大小様々な横断幕も存在するのだ。 例えばゴール裏の横断幕ひとつにしても、個々人がただ貼るだけではなく、全体のコーディネートも考慮して配置を考えるなどを行ってきたが、今はどのように貼っているのだろうか。場所の取り合いや奪い合いは起こっていないだろうか、など。 そんな話し合いにも、積極的に若い方々が参画できているのだろうか、とかが頭の中を駆け巡っている。先日もTwitterに書いたが、小学生たちが、ウルトラを目指したいと思う世界に、ゴール裏がなっているのか、なんてことをつい思ってしまう。 来週の今頃には、歓喜のなかに僕はいるのだと思う。その輪には未来のウルトラたちはいるだろうか。あの頃のように次の世代へとつなげられているか。柏レイソル戦の試合後、当時の小学生たちに会った。とても立派なウルトラになっている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

新年。

激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP