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8月, 2018の投稿を表示しています

ちゃんと持ってけ、いろんなものを。

この日曜日に行なわれた結婚式。ほぼすべてのシーンでセレッソ大阪色がいっぱい(いやセレッソ大阪しかないと言っていいほど)だった。セレッソサポーターだらけ。披露宴の隣の席にはスタジアムDJ。祝辞、乾杯の発声もセレッソサポーター。お拘りがすごい。 新郎との思い出の中で一番記憶にの中に残っているものがある。ちょうど10年前の2008年北京オリンピック。ナイジェリア代表との第二戦が行なわれた場所である天津でのできごとだ。北京から天津へ時速300km超えで走った新幹線よりもなぜか鮮明に覚えている。 内容自体は直接聞いてくれたらお話しするが、今なら当たり前のようにできる「海外に行くときはちゃんと連絡を取れる仕組みの準備が大切だぜ!」ってことかもしれない。まあ汗水たらしてつながったからこそ、殊更記憶に残っているのではあるわけだが(笑)。 結局第三戦も残るようだったので、持ってきていた中国語のハンドブックを贈呈した。役に立ったかどうかは本人にも聞いていないので知らない(そこは興味もないのだが)が、少しでもその先の旅が楽になったのならば本望。多少だけど荷物も軽くなったのでね。 とても偉そうなことが言えるような生き方ではないが、人生の先輩として一言。「家族や親を大事にする心を持ってけ。自分を大切にしつつ精進する魂を持ってけ。そんな気持ちを高く持ってけ。無理はするな、無茶をしろ。そして、ちゃんと携帯とか持ってけ」。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

人は二度死ぬ。だからこそ。

阪神タイガース張りの長期ロード。木曜日に出発してからようやく東京に戻ってきた。今回は名古屋、大阪、広島、岡山ときて、最後は大阪に4日滞在。身体の節々の痛みに耐え切り、セレッソ大阪サポーターの結婚式、披露宴、とんでもない二次会に参加してきた。 それにしても本当にめでたい話である。セレッソのサポーターももう何世代目と言えるのだろうか。当然かもしれないが年老いたものはゴール裏から場所を移し、若いサポーターたちが台頭しその場を取り仕切っていく。世代交代というとおこがましいのではあるが。 確かにこの挙式に集まったサポーターの顔ぶれを見ていても勝手知ったる顔と初めてお目にかかる顔。この世代を超えた関係をつなぐのもセレッソ大阪という縁結びが存在するからこそであると改めて実感する。なんなんだこのソーシャルネットワークは、という感。 そして多くの方がこんな僕に声をかけてくださる。「体調、大丈夫?」「太りました?(またかよ)」「相談したいけど」「飲みに行きましょうよ」「はじめまして!」「今度東京行くので・・・」。こんなところでも人見知りが酷すぎて申し訳ないなと自暴自棄。 こんな素晴らしいセレッソアミーゴたちから祝福を受ける新郎新婦のお二人は本当に幸せものだと思う。そんな幸せ絶頂の新郎新婦から高砂前の特等席を準備してもらった僕は、もしかするともっと幸せなのかもしれない(新郎新婦を凌駕してどうするとツッコめ)。 僕はまだセレッソ大阪の中で存在し続けていることを実感する。存在して良いんだと心から感じる。その「居てもいいんだ」という意識が、仲間を大事にする気持ちに変わっていくのだなと思いたい。この愛すべきセレッソ大阪サポーターという存在が僕を強くする。 人は二度死ぬ。一度目は肉体的な死。そして二度目は忘却という死。そういう意味では僕はまだ生きている。最後の笛が鳴るまではフィールドで戦い続ける。人生というものは本当に美しい。風船もいつかは地に這いつくばる。その日までの飛び方が重要なのだなと。 (ごめん挙式の件はまた書くわ) NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第24節 サンフレッチェ広島戦。

2018年シーズンのJ1リーグ(この呼び方にまだ慣れない)初観戦と相成ったサンフレッチェ広島を迎えたこの試合。僕的には非常に珍しいのではあるが2時間前に入場してみた。久しぶりにこの時間のヤンマースタジアムの雰囲気を身体で感じる。なんだか心地よい。 多くのアミーゴに出会う。「なんか、太ったな?」とか「うわー負けるやん(失礼な)」とか声をかけられる。僕と同様に毎年ひとつずつは確実に年を取っているはずなのだが、暑い中でもみんな元気そうだ。セレッソ大阪を応援する行為は健康器具にも匹敵する。 ゴール裏のホーム側最上段から見ることにする。二万人超えてくるとこの付近もかなり混雑する。この10年でスタジアムの客層も変わったのだろう。四半世紀のあいだ見てきた多くの景色と今のこの状況を重ね合わせて見て、多くのことをふと思い出してしまった。 とは言え、ゴール裏の応援に合わせて拍手を送ったり声を出したりしている方も思いのほか多かったし、スタジアム全体がそのような雰囲気になっているってことなのだろうなと思った。だからゴール裏の力がより一層試される。彼らの頑張りがこれからも大事だ。 ただ、優勝できるチームとそうじゃないチームの差はいったいどこなのだろうか、それは何なのだろうか。選手、クラブ。そしてファンやサポーター。少しずつだけどちょっとずつ何かが、どこかが違うのかもしれない。そんなことを考えながらの広島戦だった。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

映画から学ぶ「サポーター生」。

「カメラを止めるな!」の勢いがまだまだNEVER STOPなのは本当にすごい。監督さん、役者さん、スタッフさんの生き様に感動してアミーゴもリピート&リピートしている様子。やっぱり映画は良い。映画の力は偉大だ。その「映画人生」を応援していきたくなる。 そういえば一本の洋画を見た。「チャンピオンズリーグ珍道中」。タイトルはそのままではある。会社の同僚であるイタリア人二人が当選でゲットしたチャンピオンズリーグファイナルのチケットを持って、開催地であるプラハまでの面白おかしな旅を描いた映画。 昔を懐かしむのは良くないかもしれないが、この映画を見ていて、サポーターという人種は旅人でもあるのだなということを改めて思う次第。今では多くのサポーターがアウェイのスタジアムを埋めてくれるのだが、たった二人しかいない状況の時もあったな・・・。 映画のシーン同様、自分自身にも起こった旅の途中の様々なできごと、そのひとつひとつが良い思い出となっている。この上ない財産になっていることを今更ながら実感する。そこで知り合った人たち。共に歩いた人たち。これからも一緒に前に進んでいく人たち。 「君と出会うために生まれてきたよ」と踊りながら歌う三人組がいたが、まさに何も無いところから出会い分かち合い泣き笑いする「 サポーター生 」。一般の方から見たら特異に見えてしまうそんな生き方。金や名誉よりも大事な、そんな生き方を愛してやまない。 さてこの「チャンピオンズリーグ珍道中」。オチが微妙ではあるし言ってしまえば「さてチャンピオンズリーグは一体何処へ?」という感が無くはないが、サッカーを愛する方がサラサラッと見るのには良さそう。騙されたと思って一度覗いてみてはどうだろうか。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第23節 V・ファーレン長崎戦。

多くの方から誕生日のメッセージをいただき至極感激している次第。この歳になっても嬉しいもの。しかしながら良い歳の取り方をしているかそうではないか、毎年この時期になると心の中のリトルイバと葛藤している。さて人生五十年。あと僅かばかりではある。 この長崎戦。実は密かに行くことを考えていたのだが叶わなかった。あの御方たちにお会いしたいと常々思っておきながら有言不実行。お許しを。タイムラインを追う。元気そうな顔を見ることができ、残りの人生の中でどれくらい会えるだろうかとひとりごちる。 長崎での試合というと1997年の天皇杯4回戦ジュビロ磐田との試合以来行った記憶がない。あの日はかなりの雨だったこととジュビロの選手となんかあったことくらいしかイメージできないが、アミーゴと平和祈念像や中華街などで撮った写真がアルバムに残っている。 20年以上も前のことはどうでもいいな。この試合は久々のクリーンシートとなった。厳しい場面もあったが相手に助けられた感もあるし一概に諸手を挙げて喜べるフシもないが、試合展開自体は上出来のように思えた。さてこれで36。首位チームとは勝ち点差13か。 ようやくというか何というか、今週土曜の広島戦は今シーズンのJリーグ初観戦の予定。この試合の重要性を理解しているが、多くのアミーゴに会うのも本当に大事。試合前、スタジアム内、試合後、そして翌日のアレ。みなさま、どうぞ宜しくお願いいいたします。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第22節 清水エスパルス戦。

「どんだけ経ってから書いてんだよ」「もう次の節終わってんぞ」とお叱りを受けそうではある。敢えて言おう、僕はカスと。やはり今も昔も水曜日のナイトゲームをリアルタイムで見るのは、過密日程のチーム事情と同じく非常に厳しい。とか弱音を吐いてみる。 ヨーロッパ各国のリーグも始まっておりサッカー目白押し。最近ではDAZNの良さを最大限活用(つーか面倒なのだろ)してハイライト観戦が多い。しかしながらセレッソ大阪の試合だけは別だ。もちろん全てのシーンをチェックしておきたい。確認しておきたいのだ。 そしてそんな状況のなか、遅ればせながら清水エスパルス戦を見てみる。前回アウェイでの対戦は大敗しているので、是が非でもリベンジが必須だった。それにしても日本平は鬼門というか大負けしているイメージしかない。今回はホーム。必勝が求められている。 さてこの試合。久々に杉本健勇選手がゴールを決めたが、まだまだ彼の本領が発揮されたわけじゃないなと見ていて感じた。こんなもんじゃない、とセレッソ大阪ファン、サポーター以外の方々でも思うだろうし、もっともっと貪欲に狙っていく姿勢を期待している。 なんだか、清水と戦うときはいつもこういう試合展開のような気がする。大体主導権を握られるが運良く失点せず、なんとかゴールを決めて勝利するシーンを何度も見てきた。今回もそんな感があったが、今回は勝利だけが欲しかったので良しとしておくしかない。 そう言えば昔から清水エスパルスというクラブになんだか縁のようなものを感じる。過去にも選手の移籍など数多くあったし、オリジナル10では比較的身近なチームなのかも。CBJAPANやファンやサポーターの方を含め知り合いが多いことも要因なのだろうと思う。 このような縁はサッカーの素晴らしさを体現している。サッカーで繋がる縁。サッカーが繋ぐ縁。ひとつひとつの縁は非常に小さいもので非力なものかもしれないが集まれば相当な力になる。カスの僕でもそれくらいは分かる。そんな僕が今日、ひとつ大人になった。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

右利き社会の「左利きの日」。レフティを堪能せよ。

夢の中までどうかは分からないが生まれたときから左利きだった。子供の頃に得したことがあったかなんて憶えちゃいないが、格好いいだろ〜とスギちゃん張りだったのだけは思い出せる。しかし大人になってからはサウスポーというものが役に立たないと感じる。 今の状況はというと字を書くのとマウス以外はほぼ左手で行なう。確か幼少期に書く行為だけは矯正された覚えがある。ひらがななどを書いてみるとまるっきり逆向きになっていたらしい。こりゃ駄目だと両親が懸命に書き手を直させたと大人になってから聞いた。 8月13日は「左利きの日」だったのだ。そんな記念日があるのだよな・・・と毎年思う。とは言えこれは世界(特にイギリス?)に限った話だそうで日本は2月10日なんだとか。まあどっちでも良いのだがそれほど左利きが素晴らしいわけでもなく意識すらしていない。 聞くところでは左利きは世界で1/10の確率だそう。そんな幸運に恵まれて生まれてきたことに感謝したいのではあるが、この世は右利き社会なのだ。ハサミも包丁も10本に一本。改札も何もかもが僕の生活を少々苦しめる。しかしだ。一生一緒にいてくれや、なのだ。 ただし、スポーツの世界では重宝されるケースは多い。日本代表で必ず降って湧いてでる左サイドバック問題はネイティブレフティ(左利き)が良い、って話など。社会ではあまり優位ではない左利きも、一部のスポーツでは貴重な存在であるともいえるわけだ。 セレッソ大阪にも多くの左利きの選手が在籍した。今なら丸橋祐介選手ということだろう。このレフティが我がクラブにとってどれだけ大事なものなのかを改めて感じる今シーズン。彼の左足を見るだけでお腹いっぱいになるはず。ぜひスタジアムで見てほしいな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

健康管理は◯◯じゃないとできない。

長生きしたい衝動が特にあるわけでもないのだが、ここ数年は体調管理に気を遣うようにしている。世も健康ブームだ。しかしながら辛いランニングなんてしたくないし、せめて歩くことと自分自身の身体の心配くらいは行なっておこうかと、かれこれ数年は経つ。 インドア派の僕としては外出が苦手ではあるのだが幸いにもうちには黒い犬が存在する。暑がりの寒がりな犬種なのでこの時期はなかなか散歩にも行けない(この前お医者さんからも止められた)のだが、行った時にはしっかりと歩数を稼いでカロリーを消費する。 更に、毎日体重を測り毎日血圧を測り毎日体温を測る。最近は左手首にApple Watch右手首にはWithingsを巻いて常にデータを取得する。もちろん布団の中でも添い寝。睡眠状況をロギングする。全ての情報はAppleのヘルスケアアプリで一元化して管理を行なっている。 寝る前には必ずストレッチと腹筋を行なう。腹筋アプリ(女性用らしい)を起動させお腹の上にセットして規定時間の回数を測る。そのあとストレッチアプリの先生に教わりながらじっくりと身体を労る。これらのデータは回数と共にGoogleカレンダーに記録する。 そして朝昼晩と食べたものは全て食事アプリで入力。カロリー計算したデータも前述の通り情報としてヘルスケアに自動送信。食べたものと翌朝の体重を対比し、どんなものを食すればどの程度の増減を生み出すのかを把握しておくだけでかなり違いが見えてくる。 コーヒー(カフェインの量)や水分量も都度都度登録するようにしている。僕は甘い飲み物が好きなのでジョブズの言う砂糖水や身体に悪そうなカフェオレっぽいのをついつい大量に飲んでしまう。制限を徹底するためにデータと分析が必要であると感じてしまう。 更にマインドフルネス。Apple Watchを利用しマインドを整える。自分の呼吸に集中し短時間でも周りの雑念を取り除いてみると、見える景色がどこか変わってくる気がする。これもGoogleカレンダーのゴール機能が毎日毎日空いている時間に案内してくれているのだ。 「ストイックですよね」とよく言われるが、それほど何かにこだわっているわけでもなく、ただ単に継続することができているだけだと思う。これはストイックなどというよりもどちらかというと◯◯に近いのかもしれない。言葉の想像はそれぞれの方に委ねる。

平和への願いと僅かばかりの貢献と。そんな一日でいいのだ。

人それぞれ東京に何かの思いを持っているのではないだろうか。僕の場合はこうだ。大阪に居たときからずっと憧れていた行きたかった場所。それが正月に行なわれる皇居一般参賀、新日本プロレス東京ドーム大会、そして靖國神社への参拝。今年も相も変わらず。 今日仕事を始める前の時間。平成最後となる8月15日終戦記念日の参拝。戦後73年という重みを感じながら九段下駅から歩き大鳥居をくぐる。暑さ対策で水もまかれている。8時だというのにもう多くの方々の姿がある。関心度が高い。あえて日向を選んで歩いてみる。 大村益次郎像付近に男女のグループがいる。近年、若い方々の参拝も多くなっていると聞く。どのようなきっかけなのかは知りえないのだが現に見ていてそう思う。「厳かな場所なので騒がないように」と話す代表らしき人物。この場所では確かにそう感じるだろう。 反面、遺族の方々の高齢化も懸念されていると聞く。そういう意味でも伝えることの大事さが必要になってくる。忘れ去られることは無いとしても時とともに少しずつ風化していってしまうのが世の常というもの。だからこそ毎年この時期に訪れてしまうのだろう。 そしてそんな速すぎる時代の流れの中で僅かでも平和への貢献ができているのだろうかと自分自身を問う日にもなっている。SNSでも同様のことを書いている方が多くいたりして、ひとりひとりの心の中に平和への願いが詰まっているのだなと改めて考えさせられる。 体質的なものなのか「インタビューさせてもらえますか?」と聞かれる。全て断る。九段下駅まで来た道を僕は戻る。夏の太陽のおかげでどっぷりかいた汗を駅ナカのエアコンが乾かしてくれる。こんなほんの小さな幸せも先人に感謝する。そんな一日でいいのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

お盆休みは不思議がいっぱい。

世はお盆休みである。仕事で伺う機会があったので朝8時くらいから秋葉原にいたが、そこにはかなりの人。前日に行なわれたコミケからの流れかもしれない。この時間にもかかわらずただただ長蛇の列を作ったりしている。待つのが苦手な僕にはとても難しそうだ。 イベントに参加後、炎天下の街を歩く。相変わらず人だかりができていたり、お昼に近づいているせいかメイドカフェの案内が増えてくる。こんなおじさんにもビラの配布をしてくれる。真っ黒の衣装の彼女。太陽光を受けすぎて危険そうなのだが平然としている。 相変わらずの日本語オンリーの案内。よく似たアジアの方々ならまだしも明らかな欧米人のときには英語で伝えるのが必要だと感じる。しかしどこまでも頑な。これもひとつのジャパニーズスタイルだとするならば、文化を貫き通すのも選択肢のひとつだが、さて。 いろいろと考えながらアキバの街を歩く。何かGeekなものが無いかと店内を探してみるが、とてもじゃないが暑すぎて涼めやしない。「こんだけ汗かいているのって僕だけ?」と思えるくらいの尋常じゃない量の水分が蒸発して消えたが、一向に体重は減らない。 世の中はお盆休みである。家では黒い犬が何もない部屋の天井に向かって無性に吠えたりしている。犬は敏感な生き物。何かが降臨しているのかもしれない。そして何事も無かったかのように自分のベッドに戻っていく。やはりお盆は不思議なことが起きるものだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

サッカーができる幸せ、サッカーを見れる幸せ。存在の意義を考える。

東京に来て以来、毎年8月15日になると靖国神社に向かうようにしている。あの戦争について知っていること知らないことがまだまだ存在しているのだが、今年は知覧に行ったこともあり、より強い気持ちを持っている自分がここにいる。決して忘れてはいけないと。 以前、ブログでも書いたのだが、最近あの戦争について様々な書物や映画をよく見るようにしている。元来幕末期や明治維新が好きで主だっていたのだが、日露戦争から昭和初期にかけての歴史や文化、終戦に至るまでの道程や他国との関係性など非常に意味深い。 73年前の8月6日9日にふたつの街を襲った悲劇。頭の中から消えることはないが、残念ながら意識して思い浮かべるなどできていない気がしている。そんな終戦記念日まであと数日となった昨日。サンフレッチェ広島とV・ファーレン長崎の試合が広島で行なわれた。 この試合をアミーゴが「ピース・ダービー」と呼んでいた。呼び名がどうこうというわけではないのだが、この試合がこの時期に行なわれることの意義についてだけは改めて考えさせられる。原爆ドームと平和祈念像の前に立ったときのあの感覚をふいに思い出す。 僕が40年余りをともに過ごしてきた戦後の七十余年。こんな悲惨な戦争が二度と起こることのない平和な世界で行なわれるサッカー。多くの先輩方のおかげで今、このようにサッカーを人生の一部にして生きていくのが可能となったことを感謝しきれないほどだ。 せめて、毎年この期間だけでも”平和な世界でサッカーを”を考えることができれば、歴史は忘却の彼方に向かわない。サッカーができる幸せ、サッカーを見れる幸せ。戦争を知らない僕らがサッカーを通じて知る存在の意義を、噛み締めながら一日一日を大事に。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第21節 北海道コンサドーレ札幌戦。

トライ・アンド・エラーには時間のかかるものとそうでないものがある。自分自身も若い頃から色々と挑戦して挑戦して挑戦するの繰り返しだったのでよく分かる。失敗とは駄目だった時ではなくチャレンジをやめる時なのだという言葉が、強く心に突き刺さる。 火曜日から始まるアジア大会サッカーの日本代表に舩木翔選手が選出されていたのを今思い出したり。男塾生だったら確実にシバカれるレベル。U-23でも左サイドやセットプレーにおいてかなり戦っているなと感じる時代のスター候補選手のひとりだと言うのに。 今シーズンは左サイドの鉄板、丸橋祐介選手の調子がすこぶる良いのではあるが、トップチームのレギュラー奪取へと近づくであろうアジアでの活躍を期待したいところ。そしてその実績を持ってこの偉大な先輩選手に挑戦していく姿を是非とも見てみたいのだ。 8月の北海道、ましてや札幌ドームという羨ましい環境(とは言え中は暑いのかもだが)。そう言えば北の地アウェイ、もう何年も行っていない気がする。記憶の限りだが2001年の降格が決まった時以来かも。その際に訪れた石原裕次郎記念館も、もうないらしい。 スルガ銀行チャンピオンシップと札幌戦で試していた3-4-2-1。結果的にはいくつかの問題を露呈したが、チャレンジという面で見るとシュート数でも明らかだし、ディフェンスも良い場面がいくつか見えた感がある。尹監督の判断は間違っていないと思いたい。 それにしても山口蛍選手、杉本健勇選手のコンディションが良くないのか、期待しているレベルに達していない気がする。取れるところで取れない。収まるところで収まらない。決められるところで決められない。彼らが戻ってこないとやはり勝ち負けは厳しい。 これで中断明けで7戦勝ち無しとなった。明けない夜はさすがに無いのだろうが、負け方、引き分け方が良くない今、危機感は常に持っておくべきだ。何度も書くのだが若い選手たちの挑戦、チャレンジを待ちたい。駄目でもともと。殻を破ってくる奴を待っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※8月12日追記 舩木翔選手は怪我のため辞退した模様。

第20節 サガン鳥栖戦。

近所のファミリーマートがセルフレジを導入した。最近は朝から多い時に10人くらい並んでしまうこのコンビニエンスストアだったので少々困惑していたが、設置されたおかげでかなり便利になった。しかしモバイルTカードが使えない。なぜだか不思議ではある。 わざわざバッグからカードを出さなくてはならないし非常に面倒である。なにかの設定を行なえばモバイルで動くようになるのだろうかと模索する。それがなかなか見つからないのだ。新しいこと試し好きを自負しているにも関わらずこの体たらくはいただけない。 どういうきっかけで動くようになるかという問題は、我がクラブにも大いに感じているところだ。もしかすると昨年のような活動量をいつか取り戻せなくなるのではと感じざるを得ない鳥栖戦だった。勝てないときのオーラが半端ない。ゴールの臭いが全くしない。 僕自身もあまり良くないのだが、噛み合わせと言うか位置のずれた歯車をどのように修正するか。ほんのちょっとしたことなのだろうが直すのは非常に難しいなとは思う。何度も書いてはいるが、違う血というか何か起爆剤になる要素が必要のように感じている。 そういう意味でも若手選手の台頭を見たい。スルガ銀行チャンピオンシップに期待するものの、トップとU-23には紛れもない差があるのも事実。しかし若い子たちは伸びしろもある。厳しい状況だからこそ序列から飛び出す逸材を活かすチャンスでもあるはずだ。 話は戻すが前述のセルフレジ。GUなどに設置されている読み取り機がRFIDタグを利用しているのに対し、一品一品読み込む手間の不条理からか。店員さんがバーコード読むのと変わらないから使わないのだろうな多分。まあそれでも列に並ばなくてよいだけマシか。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第19節 ヴィッセル神戸戦。

「チームとはなにか」を最近良く考える。サッカーでも仕事でもチームは生き物。Wikipediaを見ていると「和・仲間チーム」「仕組み・軍隊チーム」「精鋭・開発チーム」 「変幻・アメーバチーム」の4つタイプがあるらしい。我が軍はどこに位置するだろうか。 見ている限り子供のサッカーでも、ボールに群がるだけなんてことは少なくなった。逆に一部の会社や大人がそっちの方向に流れている気がする。出来ればメンバーが各々の能力を遺憾なく発揮し成果を生むチームでありたいが、一筋縄ではいかないのが柵なのだ。 またまた当日に前節の試合を見ることになった。12連戦の5戦目。ホームでのヴィッセル神戸との阪神ダービー(って呼び名で良かったんかな?)。アンドレスとルーカスが欠場のなかでのウィークデーマッチだったが、完売していた模様で凄い状況が映っていた。 よく引き分けたな、と感じる試合が続いているが神戸戦も然り。少しずつ選手は怪我から戻ってはきているが何とも言えない。大阪特有のむせ返るような暑さのせいだけじゃないと感じる。前にも書いたけど相手チームと比べて活動量が圧倒的に少ない気がする。 とは言え普通に歩いているだけでもとてつもない状況。ましてや10km近く走ることを考えたら致し方ないところも多い。サッカーだから個の能力は確かに必要。だが個の能力だけではままならないことも多い。こういう時こそチーム力が試されるのだろうと思う。 そして今日はフェルナンド(いるのかな?)。しばらく勝ちが無いので3ポイントが喉から手が出るほど欲しいお年頃ではあるが果たしてどうなるだろうか。鍵はサイド、チームでボールを奪う、そしてチームで得点を取る。要所要所のチーム力で勝ちたいものだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

子供向けイベントのハシゴは修行とも言う。

繰り返し言うことになって恐縮だが、いきなり走り出したり何かを振り回したりする予測不能な動きや、見たまんまのことを発言してしまう子供が大の苦手だ。そんな僕がまさかそっち系統のイベントのハシゴ修行になろうとは誰がいつどう想像しただろうか。 午前中。ロボットを使ったプログラミングイベントのスタッフとして。子供が意味もなく走り出す。お、おぅ・・・。まあ大人になっても走って転んでスーツが破けて「お母ちゃんに怒られるー」とか言ってる人もいたので、子供だからというわけではなさそう。 そんななかでなんとか頑張ってお助けしようと頑張ってはみたものの、いろいろとなんちゃらオーラでも醸し出しているのか上手く噛み合わない。だが、子供とコミュニケーションが取れないわけではない。ゴール裏などでは一緒に応援していたわけなのだから。 午後は場所を東京ビッグサイトに移してMaker Faire Tokyoというものづくりのイベントを見学してきた。このMaker Faire、まさに子供のための催しといっても過言ではないが、新しい取り組みや面白い試みをしている団体を見るために、ここ数年は通い続けている。 昨年は鹿島アントラーズとKDDIのコラボによるサポーター向けのIoT(モノのインターネット)グッズが展示されていた。サッカー関連を見つけられなかったのだが、例年同様多くの団体のロボットやセンサで社会を変えようとする思いが素晴らしいと感じた。 そしてこのMaker Faireも例にもれず子供、子供、子供。どこまでいっても子供。風船バットを振り回す子供。なぜかいきなり走り出す子供。思ったこと感じたことを叫けぶ子供。なんとかそんな大量の子供たちのなかで僕は気持ちを整える。理解しようとする。 勘違いしてほしくないのだが、子供が「嫌い」なのではなく「苦手」なのだ。予測不能な動きや見たまんまを叫ぶ子供が苦手なのだ。朝のお勤め終了後、ユニフォームを着替えていた。たまたま見てしまった子供が僕にこう叫んだ。「あの人、気持ち悪いー」。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

固定観念を取っ払えるか。

ヴィッセル神戸戦はまだ見ていない。というか週末まで見れない。というか土曜も仕事入っていて見れない。日曜日にはもう試合が待っている。という悪循環をなんとか断ち切りたいが、頭が固いせいか抜け出すアイデアを絞り出せなくてなかなか苦労している。 どっかのホラーの映画監督が「・・・出すんじゃない、出るんだよ!」と言っていたが、やはり自然にアイデアが出てくるようになりたいものである。しかしながらこの固定した概念という化物を退治するだけの道具を持ち合わせていない。斧も置かれていない。 ここ一ヶ月で二度行なったレゴシリアスプレイのファシリテーター。一度目は来年社会人になるであろう方々向け。初対面の方が多いだけにアイスブレークの要素が非常に高すぎたのかもしれない。とは言えそこも含めて楽しんでいただけたかなとも感じている。 その次は、二十代前半から天命を知る五十代の方まで幅広い年齢層かつ男女混合でのレゴシリアスプレイとなった。生きてきた環境も働き方もまるで違う方々同士が、レゴを触ることで少しずつ相互理解を得て共同作業を行ない、アウトプットを出していく過程。 頭の中にある固定観念。まずはそれを取っ払ってレゴだけに向き合い、童心に帰った気持ちで創るレゴ作品の価値に重きを置く。皆がひとりひとり出したそのアイデアを認め、自分のアイデアと融合させていくというプロセス。ひたすらに手を動かすからこそ。 自分自身も凝り固まった頭をレゴで柔らかくしながら毎日の生活や仕事を更に円滑に充実したものにしていきたいと感じる。だからこそ子供の想像力を見習わなければと思う。でなければこのような産物は出てこない。「くまのプーさん」。言い得て妙、である。 子供、恐るべし(だから苦手、とも言う)。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP