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第11節 川崎フロンターレ戦。

勝敗は兵家の常である。特に、我が国のトップリーグは少なくともほぼ同等の実力を持っており、勝つときもあれば負けるときもある。そんな中で一喜一憂するのが僕らサポーターだが、それこそ、毎回毎回上手くまとまるなどあり得ないのだ。

そのような幻想とはおさらばすべきなのだ。前節も今節もどうもメディアが「盾と矛」になぞらえたがるので話がおかしくはなる。最小失点、前半に失うことは少なく、流れの中からは取られないという、まさに幻の国の「おとぎ話」のごとく。

いかなロティーナ監督でも抗えないものがこの世には存在する。機械ではなく人がプレイするのだ。多くが隠れてしまっているので気づきにくいが、ありえないようなミスも毎試合発生しているのだ。だからこそ、サッカーは面白いスポーツだ。

確かに相手は強かった。だからと言ってそれは「うちが弱い」という理論が成り立つわけでは決してない。少なくとも、相手のスキを突くシーンは多数あった。サッカーはミスのスポーツだ。どちらがそのミスに乗じて得点するかにかかっている。

そういう点では、問題は点差ではなく、もっと根本的なところだと僕は思っている。以前からも書いているが、今のスタートメンバーを脅かすほどの選手が出てこなければこの先もかなり苦労するだろう。改めてネクストプレイヤーに期待する。

さてこの「勝敗は兵家の常」。三国志、魏の曹操孟徳の言葉だと伝えられている。この曹操も多くの敗戦のなかから何かを学んで、そして強くなっていったと言われている。今年が曹操没後ちょうど1800年だそうだ。何かと歴史を感じてしまう。

三国志も(三国志演義というほうが良いか)次々と新たな英雄が生まれる時代もあった(とは言え終盤は人材不足で諸葛孔明が嘆くわけだが)。まずは連戦に備えた体調管理と、期待を膨らませてくれる選手の台頭を僕は待ってみることにする。

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