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ITと上手く付き合う。

ときどき、このまま行くとどうなるのか、この世の中を歩いていくのがとても不安になることがある。コロナ禍において人と人のつながりの重要度が増したように思うが、個人的にはひとり時間が多くなり、より自分らしさが出たように感じる。

この不安のなかには、GAFAを中心としたITによって多くの変化が存在している。過度なソーシャルネットワーク、怪しげなレビューなどに惑わされないように生きているつもりでも、ふとした瞬間には、その内側にどっぷり使ってしまっている。

去る12月14日に発生したGoogleの障害。日本は夜という時間帯でもあり、想定とはまた違った混乱が大きかったように思えたが、自分自身としては相当ゾッとする場面が多かった。Googleへの依存度が高く、このレベルの障害でも致命的だ。

まさにこの依存が厄介だ。代替の手段を持っていないとなるとさらに問題だ。しかもその障害は突然やってくるとなると、対処のしようがなくなってくる。僕らはどのようにして未然に防いだり、万が一、起こっても対応していけるのだろうか。

とは言え、ITとともに生きていかなければならない身体(GAFAだけにとどまらず)になってしまっているのも紛れもない事実だ。だから何とか食らいつく必要があり、僕も類に漏れずに様々調理し、そして召し上がっていくことになるはずだ。

そんななかでGoogleとマンチェスター・シティ主催のサッカーAIコンペで日本人チームが五位に入賞したというニュースを見た。VARもそうだが、人とITの融合が加速する時代にサッカー界もどっぷり浸かっている。万が一、への対応も必要だ。

人間同様に病気もする。ミスも犯す。人間にできることしかできないし、逆に人間を凌駕する領域も年々増えている。だが、ひと度ITが病気になったりミスを犯したりすると、途端に狂気を見せてしまう人間という生き物は、一体何なのだろうか。

ITの世界を30年以上見続けてきて思うのは「上手く付き合う」こと。過度に依存することなく、だからといってふれあいを忘れず。大事なのは、ITも人も「今ここに生きている」のと、「信用はするな信頼しろ」と考えていくことだと僕は思う。

まさにITと人の「相互尊重」だ。

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