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本との付き合い方。

調子が良くないので、ひたすら読書三昧。面白い本に出会うと心が躍る。逆に、読み始めたことを後悔する本もあるにはある。読み続ければ楽しくなってくるのか、それとも、ここで一旦区切りを付けるのか。本との付き合い方は人それぞれだ。

思い出したかのように応募していた星新一賞。三次合格者のなかに僕の作品名は存在しなかった。当たり前と言えば当たり前である。しかしながら僕の星新一賞との付き合い方は「書きたいものを書く」でもある。ぜひ楽しんで書いていきたい。

いい加減だけどいい加減じゃない。五十年生きてきて辿り着いた思考と行動。分かってもらおうとも思わないが、見る人から見たら自由すぎて嫉妬されたり、ふざけていると受け取られたりする。だが、至って真剣にいい加減を生きているのだ。

セレッソ大阪サポーターのなかにも強烈な個性が多く存在する。群れることを嫌う人もいれば、グループだからこそ輝く人もいる。同じじゃなくて良いじゃないか。ひとりひとりのパーソナリティが活かされる、そんな組織であっていいと思う。

世界にひとつだけのフラワー的なオンリーワン戦略はそれほど好みじゃないが、人の個性というものはそれはそれで良いのかな、と僕は思う。そして、その個性を認め合うことができれば、これ以上の素晴らしき出来事は世の中には存在しない。

最近はそのような尊敬する方々のノンフィクションと付き合う毎日でもある。空想の世界やワクワク溢れる小説も良いが、人間模様がはっきりと表れる本を読み続けて(聴き続けて)いる。その時間、日常に嫌気が差すなどという感情は論の外。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

改めて読み直そうと思っている。

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP