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第32節 サンフレッチェ広島戦。

サッカーには不思議な力がある。これまでにも数多くの力を見てきた。だが、それ以上に、この数年でさらに強く感じている。Jリーグとの関係が人生の半分を越えたあたりから、この不思議な力への気持ちの持って行きかたを、日々学んでいる。

そういう意味で考えると、サンフレッチェ広島との試合は、クラブとしてはもちろんのことサポーターとしての自分に向けて大量のメッセージを放ってくる。縁は人と人をつなぎ、人とクラブをつなぎ、そして人とサッカーをひとつにしていく。

1995年の開幕戦しかり、1999年9月のあの試合しかり。大勝したり大敗したり、もちろん目の前で見せつけられた屈辱も併せると、このクラブとのつながりを意識しないわけにはいかない。そんなことを考えながら広島との試合を観戦していた。

今週のウダウダでも話をしたが、結果的には素晴らしいゲームで終始安心して見ていられた。アウェイクラブの太鼓が解禁されたスタジアムでも和やかに観戦できていたようだ。この日が、セレッソ大阪にとって、とても重要だったからこそだ。

時も、場所も。過去も現在も未来も。すべてがつながっている。つながっているからこそ、いまこの瞬間に僕たちはここにいて、そして我がクラブを、セレッソ大阪を愛していることを改めて認識する。そんな時間が、増加していく感覚がある。

こう書くと、いつも精神的で神秘的な話ばっかりするよな、と言われそうだ。しかしながら、巡り合わせというものは本当に存在する。試合ではその巡り合わせが、戦略や戦術同様にチームの力となっていくのだと、少なくとも僕は信じている。

そんな気持ちだけで生きているわけではないにせよ、サッカーには人には、不思議な力がある。その力に導かれて僕らはこの世界で生き永らえている。生き永らえ"させてもらっている"。また「変わった人認定」が増幅しそうだとも思っている。

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