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ファーストゴールも1,001ゴール目も同じ1得点。

動画を作っている。まあとにかくセンスが無いのでなかなか上手く仕上がらない。とは言え、何となく整ってしまうのが僕の性分でもある。いつもそうだ。とっかかりはいいのだけれど、あとあとになって全然乗り気で無くなる。性格の捻れだ。

セレッソ大阪がJ1通算1,000ゴールを達成した。誰がその瞬間を決めるか、と考えていたがこんなものが当たるわけもなく、奥埜博亮選手によってこの栄誉はもたらされた。節目節目のゴールを見てみると、なんだかとても懐かしく感じてしまう。

その中でもやはり1ゴール目の山橋貴史さんだろう。Jリーグ昇格いきなりのサンフレッチェ広島戦。広島ビッグアーチ。まさかと言うと失礼なのだが、当時は森島さんやマルキーニョスといった、違う選手の誰かが決めると正直思っていた。

思い出した。2001年の最終戦。コンサドーレ札幌との試合後にジンギスカンを食べに行ったら、偶然鉢合わせになった。その頃は既にJリーグには籍を置いていなかった記憶があるが、セレッソ大阪を離れてからでも4、5年は経っていたように思う。

僕はあまり選手と絡むほうではなかったのと、元来の人見知りもあるので、そんなところでばったり会ったりすると何だかドギマギしてしまうのだ。だからあまり選手には近づかないようにしている。遠くから見守っているのが性に合っている。

さて、話は1,000ゴールに戻る。

直後のゴールパフォーマンスで「1000」を表現したかったようだがメインスタンドからは「0001」になってしまっていたようだ。しかし大丈夫。後ろから撮影した写真にはしっかりと「1000」が写っていた。世の中何とかなるようにできている。

ファーストゴールも1,001ゴール目も、同じセレッソ大阪のための1得点。すべてのゴールにドラマがある。僕はこの先、いくつの活劇を見れるのだろうか。2,000ゴールのときに生きているかは分からないけれど、今はとにかく、ひとつひとつ、だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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