健康診断当日は何歳になっても気が重い。それほど大したことでもないはずなのに、どうしてこんな気持ちになってしまうのかを考察してみた。真っ先に思い当たるのがバリウムという白い液体の話になるのだろう。どうしても得意になれない。
「じゃあ胃カメラにすれば良いではないか」と言われてしまいそうだが、胃カメラは胃カメラで、もっと苦手なのである。初めて行なったときのトラウマというかなんというか、もう耐えがたい苦痛を伴った検査に、号泣しっぱなしだったのだ。
健康体を保つためには大切な儀式なのだろうが、これはサッカーにおいても同様だと思っている。今日、多くのセレッソファンもニュースで見ただろうが、僕個人的に感じるのは、せっかく健康体に向けて進めてきたのにこれからどうする、だ。
監督を決める権利は、もちろんサポーターには無い。うちの歴史の中でも守備重視(という括りで置くのは違うとは思うが)な監督もいなくはなかった。そのたびに攻撃面のテコ入れに失敗してきたが、それは、監督だけの問題でも無かった。
まあ、綻びはここが始まりというわけでもなく、もっと前から蝕まれていた。日々多くの情報を聞くごとに様々な葛藤に苛まれる毎日でもある。冷静になって考えてみれば分かることでも、感情的になると見境がつかなくなるのが人の常なのだ。
健康体を保ち続けるには変化も必要。だが今かと言われたら何と答えればよいだろうか。様々な活動によって健康診断の数値は結構良かった気がする。齢五十。どうにかしてこの先しばらくは生きていかなければならない。続いていくのだから。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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