強いチームコミュニケーションはやはり素晴らしい。試合中にはいくつもの場面で話し合ったりしている。モニタ越しでもその対話の状況が見えてくる。ピッチに立っている全員の言葉が次々に繋がっていき、不確実性の中で結果を示していく。
そんな、コミュニケーションのひとつである会議はどうだろう。ある方に聞けばほぼ必要無いと言うし、ある方に聞けばやはり重要だという声も聞こえてくる。いるかいらないかの話をすると不毛になりそうなのだが、今日は少し書いてみたい。
「人には二種類しかいない」とあの御方は話しておられるが同様に組織の会議でも「話す人」と「話さない人」の二種類が存在している。だがこの二項対立のように見える状況が問題だ。その理由は、話がすんなり決まりすぎる、ということだ。
「鶴の一声」がすべてを決めるのならば、何のための会議なのかとなってくる。もちろん、何かを選択する瞬間は誰かが責任を持たなければならない。だが、それ以外のケースはすべて「話はすんなり決まらない」会議と言っても過言ではない。
ただ、このような会議になったら、言葉がシャワーのように出る組織と途端に言葉が根詰まりする組織という二種類に分けられていく。問題は後者のほうだ。当然ながら考えや思いはあるものの、言葉にするのが難しいと、いう場面も多々ある。
だから僕はレゴ®︎シリアスプレイ®︎のメソッドで自部門の会議やミーティングを置き換えてみることを薦めている。マネジメントやリーダーが、このような「話はすんなり決まらない」会議で疲弊していくのを見ているのが心苦しいのもあるのだ。
自分自身も同じような経験も多かったが、様々な場面でこのメソッドを利用することで、心が安らいでいく感覚を得た。マネジメントもリーダーもすべての答えを持っているわけでもないのに、何故か何でも知っていることが前提になっている。
それができる人間だけにリーダーの素質があるわけでもない。リーダーは、すべての言葉から道を照らす役目なのであって、自分が何でも決める役目ではない。その、すべての言葉を生み出す、見つけ出す、そして閃くを僕はお手伝いしていく。
我らのキャプテンも同じように悩んでいるのだろう。すべてにおいて不確実に見えるなかで、どのようにして個性やそこから生まれてくる言葉に向き合うのだろうか。どんな世界もリーダーは大変だ。大変さを共有できればな、と思ったりする。
コメント
コメントを投稿