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「そんなんできひんやん普通」。いや、できます。

まだまだ日本代表のワールドカップは続いている。賞賛、批判、悲喜交交である。素人の身で普通に気になってしまうもの。最後の失点シーン、山口蛍選手のポジショニングについての是非。プロの方々でも意見が分かれるこのプレーの結論は、如何に。

同時に話題になったベルギー戦後のロッカールーム。個人的には「いつもこんな感じやろー普通」と思ったが、世界から見たら「日本半端ないって、あいつ半端ないって、試合後のロッカールームめっちゃ綺麗もん、そんなんできひんやん普通」なのか。

「そんなんできひんやん普通」。いや、できます。使ったら片す。常に誰かから教えてもらってきたこと。普通で考えれば常識だが美化される。スタジアムのゴミ拾いも同様かと感じる。このようなことを普通にサラッと出来てしまうのも日本の良さだ。

ときにはそうじゃない人がいることも否定はできないが、日本の大半の方はそんなのは普通だと思っている。僕はそんな日本の文化が大好きだ。それが日本の持つ誇るべき力なのかなと考えてしまうのは、果たして、正しいだろうか正しくないだろうか。

普通のことを普通に行なえてしまう日本。だから、世界の普通も取り込んじゃえ。ワールドカップが終わったら、普通に次は自国のリーグにのめり込んでいく。これがグローバルスタンダード。25年間僕らが学び続けたフットボールのありかたなのだろう。

僕らには世界に誇れるリーグがある。我らのリーグから選ばれロシアで戦った選手たちが、4試合で得た経験を必ずこの先の普通に変えていける選手たちが帰ってくる。気持ちが高ぶらないはずがない。さあ世界の次は普通の日常へ。さあ準備始めよう。

Jリーグ

(とはいえファイナルまではワールドカップも楽しみましょう!)

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子供向けイベントのハシゴは修行とも言う。

繰り返し言うことになって恐縮だが、いきなり走り出したり何かを振り回したりする予測不能な動きや、見たまんまのことを発言してしまう子供が大の苦手だ。そんな僕がまさかそっち系統のイベントのハシゴ修行になろうとは誰がいつどう想像しただろうか。

午前中。ロボットを使ったプログラミングイベントのスタッフとして。子供が意味もなく走り出す。お、おぅ・・・。まあ大人になっても走って転んでスーツが破けて「お母ちゃんに怒られるー」とか言ってる人もいたので、子供だからというわけではなさそう。

そんななかでなんとか頑張ってお助けしようと頑張ってはみたものの、いろいろとなんちゃらオーラでも醸し出しているのか上手く噛み合わない。だが、子供とコミュニケーションが取れないわけではない。ゴール裏などでは一緒に応援していたわけなのだから。

午後は場所を東京ビッグサイトに移してMaker Faire Tokyoというものづくりのイベントを見学してきた。このMaker Faire、まさに子供のための催しといっても過言ではないが、新しい取り組みや面白い試みをしている団体を見るために、ここ数年は通い続けている。

昨年は鹿島アントラーズとKDDIのコラボによるサポーター向けのIoT(モノのインターネット)グッズが展示されていた。サッカー関連を見つけられなかったのだが、例年同様多くの団体のロボットやセンサで社会を変えようとする思いが素晴らしいと感じた。

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勘違いしてほしくないのだが、子供が「嫌い」なのではなく「苦手」なのだ。予測不能な動きや見たまんまを叫ぶ子供が苦手なのだ。朝のお勤め終了後、ユニフォームを着替えていた。たまたま見てしまった子供が僕にこう叫んだ。「あの人、気持ち悪いー」。

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サッカーができる幸せ、サッカーを見れる幸せ。存在の意義を考える。

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以前、ブログでも書いたのだが、最近あの戦争について様々な書物や映画をよく見るようにしている。元来幕末期や明治維新が好きで主だっていたのだが、日露戦争から昭和初期にかけての歴史や文化、終戦に至るまでの道程や他国との関係性など非常に意味深い。

73年前の8月6日9日にふたつの街を襲った悲劇。頭の中から消えることはないが、残念ながら意識して思い浮かべるなどできていない気がしている。そんな終戦記念日まであと数日となった昨日。サンフレッチェ広島とV・ファーレン長崎の試合が広島で行なわれた。

この試合をアミーゴが「ピース・ダービー」と呼んでいた。呼び名がどうこうというわけではないのだが、この試合がこの時期に行なわれることの意義についてだけは改めて考えさせられる。原爆ドームと平和祈念像の前に立ったときのあの感覚をふいに思い出す。

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せめて、毎年この期間だけでも”平和な世界でサッカーを”を考えることができれば、歴史は忘却の彼方に向かわない。サッカーができる幸せ、サッカーを見れる幸せ。戦争を知らない僕らがサッカーを通じて知る存在の意義を、噛み締めながら一日一日を大事に。

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「声なき声」に耳を傾ける。

我が事で大変恐縮ではあるが、一年越しの目標だった「LEGO®︎SERIOUS PLAY®︎(レゴ®シリアスプレイ®)メソッドと教材活用トレーニング修了認定ファシリテーター」として正式にスタートを切ることになった。これから先が本当に楽しく未来がとても待ち遠しい。

このブログでも書いてきているがレゴ®シリアスプレイ®を端的に言うと「コミュニケーションと意思決定のための”問い”を出席者全員で考えていく」。もっとざっくりと乱暴に言うと「声なき声に耳を傾ける」。もしかするとそのワードがしっくりくるかもしれない。

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