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四半世紀の変わり続けない光景。

腹部が痛すぎる。立っていても痛いし座っていても痛いし寝ていても痛いし。おまけに生理現象の全てが腹筋で成り立っていることを改めて知る。果たして社会復帰は可能かと疑いたくなるが「その程度で言っててどうする」と叱られそうだ。

科学の力だけで解決できるものもあればできないものもある。例のドラマでも言っていたが、身体にメスを入れた際のあとから来る痛みだけは生き物である以上仕方のないことなのだろう。あまり効かない痛み止めも飲まないよりはマシか。

そう言えば今日は5月15日である。我らは25周年という節目のシーズンを戦っているが、まさに25年前の今日、1993年5月15日にJリーグは開幕したのだ。それから、多くの方の多くの努力と思い出によってJリーグは成り立っているのだなと感じる。

四半世紀と言えば何を想像するか。0歳だった子が既に25歳。25歳だった若者が50歳。50歳だった初老の紳士が75歳。75歳でも現役だったご老人が三桁を迎える。歴史の尺度を25年周期で見る風習もあるくらいだ。実に長く、短く、実に奥深い。

1993年の初夏、22歳のただの若造は、国立競技場で行なわれたヴェルディ川崎対横浜マリノスを家のテレビで見ていた。綺羅びやかで超満員の雰囲気を感じ、何かが変わるのではないか、というそんな気持ちになったことを鮮明に覚えている。

それから四半世紀が経ち、Jリーグは様々な要素で変わり続けている。日本人は変化を好まないと言われたりもするが決してそんなことはないと個人的には思う。選手も監督もクラブもファンもサポーターも、変わり続けてきたから今がある。

そんな風に腹部の痛みも時とともに和らいでいくのだろう。いつの日か痛みがあったことすら忘れていくのも人の常であり、また痛みが発生し、泣くのも人の常。人間という生き物が持って生まれた変わり続ける力であると信じて止まない。

当然、変わり続けないものも存在する。綺羅びやかな部分はモニタ越しの映像と比べた減ったのかもしれない。が、スタンドに座りそして眺める先は、25年前に見たあの光景とちっとも変わらない。多分この先も変わっていかないのだ。

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