サッカーショップ蹴球堂の誕生日をサッカーショップ蹴球堂で味わえない、何とも言えない5月27日となった。復活の日までは相当先が長そうではある。「確かあんなお店が長居にあったよね」といつまでも憶えていてもらえるとは到底思えない。
しかしながら今年もこの記憶を共有できるということだけで本当に感謝している。なかなか前に進めないのが僕の不徳の致すところ。皆様の頭の片隅にこれからも残り続けてくれるとしたら、それこそが常に求めてきたことなのだろうと感じる。
18年という歳月は様々な環境の変化をもたらし、多くの「アミーゴ」は生き方すら激動の中で変わっていってしまった。悲劇なのか何なのかも全く分からないまま柵の上で立ち尽くしたあの時間が、記憶の隙間を縫って脳を出入りしてくる。
そしてあの戦いや、あの戦いに至るまでの歴史で届けられた「アミーゴ」との関係は永久にいつまでも色あせない。あの日確かに僕らは長居にいた。浮ついた気持ちで長居にいた。全てを出し切ることが出来なかった者が長居にいたのだ。
大人になりきれない自分を天国のあの方々はこれからも叱ってくれたりするだろうか。この先もそんな記憶を数多く思い出しながら、僕は生き続けそして野垂れ死んでいくのだろうか。人生なんて喜劇みたいなもんだ。今日もまた幕が上がる。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
2000年5月27日の思い出をまとめています。
http://remember527.com/
しかしながら今年もこの記憶を共有できるということだけで本当に感謝している。なかなか前に進めないのが僕の不徳の致すところ。皆様の頭の片隅にこれからも残り続けてくれるとしたら、それこそが常に求めてきたことなのだろうと感じる。
18年という歳月は様々な環境の変化をもたらし、多くの「アミーゴ」は生き方すら激動の中で変わっていってしまった。悲劇なのか何なのかも全く分からないまま柵の上で立ち尽くしたあの時間が、記憶の隙間を縫って脳を出入りしてくる。
そしてあの戦いや、あの戦いに至るまでの歴史で届けられた「アミーゴ」との関係は永久にいつまでも色あせない。あの日確かに僕らは長居にいた。浮ついた気持ちで長居にいた。全てを出し切ることが出来なかった者が長居にいたのだ。
大人になりきれない自分を天国のあの方々はこれからも叱ってくれたりするだろうか。この先もそんな記憶を数多く思い出しながら、僕は生き続けそして野垂れ死んでいくのだろうか。人生なんて喜劇みたいなもんだ。今日もまた幕が上がる。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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