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組織というものについて。

この2月から始まったドラマ「伝説のお母さん」。リアルタイムで見れず録画していたので見た。リアルな子育て事情と冒険物RPGのコラボレーションがこれほどハマるのかと笑い転げた。少なくともスマホを持ってチャカチャカ歩きながら敵を倒し壺を割るゲームよりは面白いと感じている。

それにしても最近の某国営放送の番組。このようなドラマだけじゃなくとも僕にとって非常に有意義なものが増えたなと感じる。様々なところで旧態依然だなと感じることも少なくはない。しかしながら、家でテレビをつけているとしたらニュース番組かもしくはこの国営放送局な毎日だ。

旧態依然という言葉で思い出した。セレッソ大阪というサッカークラブのことだ。今年からチームの統括部長が替わった。この経緯について知っていることをここで書くつもりはない。前々からも書いている通り「来るものは拒まず、去るものは追わず」が僕の原則的なポリシーでもある。

改めて「組織」とは一体何なのだろうかと考えさせられる。ウィキペディアにはこう書かれている。

社会科学における組織(そしき、(英: organization)は、共通の目標を有し、目標達成のために協働を行う、何らかの手段で統制された複数の人々の行為やコミュニケーションによって構成されるシステムのことである。

共通の目標、協働、システム。しかしながら多くの組織には多くの柵が存在しており利権と権限の行使が横行する。30年前ならまだしも既に平成の時代は終わりを告げ新たな領域に足を踏み入れているにも関わらず、旧態依然のまま進んでしまい底なし沼から抜け出せない組織の多いこと。

そんななかで今、改めて「ティール組織」を読んでいる(というかオーディオブックで聴いている)。一度目で聴いたときにはなかなか理解できなかった事柄が、再読によって活性化されて入ってくることもある。紙の書籍だとなかなかできないことも音声ならでは、も存在しているのだ。

いや、今回はオーディオブックについてではない。ティール組織の、厳密にはその中で出てくるキーワードについて、だ。仕組みを作り直したり、やり方を変えるのはどうしても体力と気力を要する。持続力と批判への抗体が必要になってくる。しかしながら、立ち止まってはいられない。

とは言えティール組織がすべてか、と聞かれればそれはNOだとは思う。どのような組織にも素晴らしい歴史やこれまで培ってきた哲学なども存在している。要はそれらが上手く混ざり合い、新時代に向かってどう活かされていくかが大事なのだと僕は思う。当然、変わることに批判は出る。

批判に対してどう振る舞うのか。先日もそんなシチュエーションを迎えた。どこまで言っても平行線で進むなかでどのように合意点を見い出していくか。頭の中に思考を巡らせながら言葉を選んで話す。それでもなかなか前に進まない場合はノーディールという選択肢もある。承知の通り。

だから僕は組織の壁を越えていく。つながりを持って前へ進んでいく。もちろん合う合わないは存在するし、相も変わらず茶々を入れてくる(本当にお茶をくれたら嬉しいのに)外野はノーディールに持ち込む。何度も何度も書く。僕に残されている時間はあとわずかだなのだと理解する。

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