今年に入ってから起こっている現象がある。「あ、この人、ほんまにセレッソのことを愛してるんやな」という場面に遭遇する瞬間が例年より多い気がする。毎年毎年セレッソファン、サポーターと知り合うのに、これほどに重なっているのは何か要因があるのだろうかとつい考えてしまう。
それほどたいした話ではない。けれど最近はソーシャルメディアや各種グループなどでそのような方を見つけることがかなり上手くなってきた気もする。まあこれだけ長い時間をクラブと過ごしてきたわけでもある。当然と言えば当然か。それとも、偶然の産物と言ってしまえるのだろうか。
そんな中で僕はより多くのおせっかいをしながら色んなことを考えていく。もちろん良い方向に出る場合やその逆もある。だが、セレッソ大阪に関わるセレッソ大阪を愛して止まない方々に向けて、何か少しでも役立ち、そして貢献できることを常に思い描いていたいと僕はそう思っている。
この30年近く共に汗と涙を流し続けたこの大事な仲間(僕の言うところのアミーゴ)と近づき、離れ、また近づく。若い頃はカバーできたとしても、大人になればなるほど様々な障害や柵、この前にも書いた組織の壁、自身の衰えなども影響して、気持ちと身体がシンクロしなくなっていく。
でも僕らはつながっている。その根拠はたったひとつ「あ、この人、ほんまにセレッソのことを愛してるんやな」と感じること。だから少々気持ちと身体がシンクロしなくなったとしても、たかだかその程度なのだ。愛を語れるほど人間ができているわけではないが、これだけは強く言える。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
それほどたいした話ではない。けれど最近はソーシャルメディアや各種グループなどでそのような方を見つけることがかなり上手くなってきた気もする。まあこれだけ長い時間をクラブと過ごしてきたわけでもある。当然と言えば当然か。それとも、偶然の産物と言ってしまえるのだろうか。
そんな中で僕はより多くのおせっかいをしながら色んなことを考えていく。もちろん良い方向に出る場合やその逆もある。だが、セレッソ大阪に関わるセレッソ大阪を愛して止まない方々に向けて、何か少しでも役立ち、そして貢献できることを常に思い描いていたいと僕はそう思っている。
この30年近く共に汗と涙を流し続けたこの大事な仲間(僕の言うところのアミーゴ)と近づき、離れ、また近づく。若い頃はカバーできたとしても、大人になればなるほど様々な障害や柵、この前にも書いた組織の壁、自身の衰えなども影響して、気持ちと身体がシンクロしなくなっていく。
でも僕らはつながっている。その根拠はたったひとつ「あ、この人、ほんまにセレッソのことを愛してるんやな」と感じること。だから少々気持ちと身体がシンクロしなくなったとしても、たかだかその程度なのだ。愛を語れるほど人間ができているわけではないが、これだけは強く言える。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
コメント
コメントを投稿