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プレシーズンマッチ 京都サンガF.C.戦。

「YouTubeで見れるなんて嬉しい!」とか思っていたのだが、よく考えてみればDAZNでの配信の時点でインターネットの力を既に借りているのだった。良い時代になったと感じる反面、ネット上の言葉という人間が作り出すある意味rightである意味darkな部分も見えるようになってくる。

いやこれは良し悪しの問題だけではない。聖書や日本書紀からも分かる通り、人間というなんとも形容し難い生き物がこの世に誕生して以来起こっている事象でもある。口頭然り、手紙然り、電話然り、Eメール然り、そして。このような善悪が繰り返されてきているのは紛れもない事実。

さて、そのような話はさておきYouTubeライブ配信で観戦したプレシーズンマッチが大事なのである。亀岡駅の目の前にこのような素晴らしいスタジアムができるなんてという感想が一番。大阪、神戸、京都の街にサッカー専用スタジアムが存在している今日。まるで夢を見ているようだ。

肝心の試合はというと、ゴールキーパー以外はほぼこのメンバーで公式戦の緒戦を迎えるのではないかと思わせるかの布陣。モニタ越しの映像なので何とも言えない(いつもこの言い訳だな)のではあるが、昨年一年かけてある程度作り出したロティーナ監督の戦術が功を奏しただろうか。

しかしながらJ1、J2にそれほどの差がある訳でもない。何もそれは選手やクラブだけじゃない。クラブを応援するファン、サポーターも同様。素晴らしいスタジアムに素晴らしい試合。更に試合終了後のサポーターの素晴らしい行動を見れば、ボーダーなんてものは存在しないことに気付く。

ファン、サポーターのright sideとdark side。現代のJリーグ(世界中だろうが)ではほぼお目にかかれない、あるスペインの時代錯誤感がある記事を見ていてもそう思った。僕とて若い頃の自分を省みて偉そうに言えないが、懐かしさの中で今でもそのノスタルジーに浸る方々は、実に多い。

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