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アカデミー賞の言葉。「変化は何かを犠牲にすることだから」。

新型コロナウイルスの予防として手洗いうがいが有効らしい。僕は以前から手洗いうがいを励行するタイプではあったが更にも増して実施するようになった。世間ではこの有効手段の効果なのだろうかインフルエンザ感染者が少ないとのこと。常に意識を高く持っておきたいなと思っている。

そんななかではあるが素人映画好きでもある僕としてはアカデミー賞が非常に気になっていた。御存知の通り順当な受賞ありサプライズと感じる受賞ありと非常に興味深い結果でもあった。もちろん僕の予想が当たるわけがない。作品賞は「パラサイト 半地下の家族」だった。なんか分かる。

受賞者のひとり。主演男優賞を獲得したホアキン・フェニックス氏のインタビューが話題になっていたので読んでみた。内容についてとやかく僕が言うことでもないので触れずにおく。ただひとつだけとても共感してしまった言葉があった。それは「変化は何かを犠牲にすることだから」だ。

世の中がどこまで進歩したとしても最後の最後はやはり人なのだと僕は思っている。人類が持っている「おせっかい」と「思いやり」そして「気遣い」が加わって、人の意識が正しい方向へと進むことができるはずだ。ホアキン・フェニックス氏が語ったこの言葉を、改めて噛み締めてみる。

自分の身に降りかかることばかりを考えてはいられない。もっと広い視野を持つ必要がある。変化を怖がってはいけないのだ、そう考えさせられてしまう。今、身近の若者たちにこの変化を促しつつ僕自身も意識を高く持って共に歩んでいる。だからこそこの素敵な言葉が胸に突き刺さった。

今週は講師やファシリテーターの仕事が待っている。流行り病はともかく体調管理には留意していきたい。日曜日はフリーだ。せっかく東北へ伺うのでセレッソ大阪サポーター意識を高く持って林穂之香選手を見るためJヴィレッジにでも行ってみるかとか考えている。さてどうなるだろうか。

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