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ポジティブに考えられる材料があるのは心の支えになる。

昨日も書いていて多少繰り返しにもなる。このような状況になるとどうしても「ツイている」「ツイていない」という気持ちになってしまう。毎日神頼みをして、上手くいかないと責任を押し付けてしまう自分勝手の悪い癖だ。もう少しポジティブに物事を考えてみる必要があると感じる。

身近にもアジアチャンピオンズリーグに出場するクラブのサポーターがいたりしてアウェイの旅費をどうしようかと悩んでいる様子がうかがえる。またSNSのタイムラインを眺めていて、今日が仙台旅行になっている方々もちらほら存在する。同じサッカーファンとしては非常に心が痛い。

先日誘っていただいた「卓球新年会」で感じた卓球の面白さに端を発し、気の合う仲間で卓球を行なう予定があったのだが、泣く泣くキャンセルした。その際の電話口での店員さんの「やっぱりそうですよね・・・」という言葉。同様のケースが多いのだろうと申し訳ない気持ちになった。

幾度の災害の際にも起こっていた「やるべき」「自粛するべき」という狭間で僕らは生きていくことになる。ストレスのなかで戦っていくという言葉がまさしく事実だろう。「常に考え」「遅滞なく」「正確に」「漏れなく」対応していかなくてはならない立場の方々には本当に感謝したい。

いま新しいプロジェクト(と呼んで良いのかな?)を数名の志士で進めている。将来や未来を考えるだけでワクワクしてしまう。まだまだ発表できない内容も多い。この先進まないことも出てくるだろう。だが、こんな状況だからこそポジティブに考えられる材料があるのは心の支えになる。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP