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ゆで卵(のことじゃなく)。

ゆで卵を剥くのがどうも苦手だ。最近はお昼ご飯に一個食べる習慣にしている。しかしながらこの殻の処理に手こずっている毎日だ。何をどうやってそうなるのかが不明だが、どうしても僕の指が白身ごとえぐってしまう。元来運動神経の良いほうではないが、ここまでくると笑えてしまう。

人には向き不向きがある。仕事においても得意な分野とどうしても駄目な苦手分野が存在する。文系理系、事務職系と技術職系、運動系と文化系(これはちょっと違うか)。生まれ持つ能力や経験によっても変わってくる。自分のなりたい姿とのギャップにも苦しんでしまうことだってある。

ルヴァンカップが延期となった昨日の夜。たまたま流れてきた知人のタイムラインで「エアルヴァン杯」というハッシュタグを見た。なるほどこのような楽しみ方もあるのだなと思った。このような流れを作ることができる方の才能に少々嫉妬しながら、逆に感心の気持ちのが大きくなった。

Jリーグが始まった1990年代に同様の事態がもし起こっていたとしたら、このような状況が果たして予測できただろうか、とか考えたりしている。それ以外にも、「今日からサポーターになる」的なブログのアクセスが凄いことになったり。得意な分野で表現可能な時代になってきたのだろう。

そういや、話を戻す。そのゆで卵。一番剥きにくいと感じたのはあのコンビニエンスストアのものだ。「なら自分で作れよ」と言われている気配を感じるのは気のせいだろうか。できればとことん「食べるの専門」でいたい。その才能は十分持ち合わせている。舌の出来は想像にお任せする。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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