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師走に迷う。

セレッソ大阪ファン、サポーターの誰もが驚いた”帝王”南野拓実選手のリヴァプール移籍に関する報道。トフィーズファンとしては嬉しい反面ちょっとだけ寂しい師走を歩いている。そんな12月も残り半分となる。このニュースが成就するように願いを込めた年末年始となることを祈る。

このような激しい流れで、嬉しいことと残念なことが順番にやってきた2019年も、そろそろ終焉へと向かっている今日。またひとつ悲しい話を聞かされることとなる。”負のサイクル”なんていう言葉を簡単に使いたくはないのだが、どうも理不尽で納得がいかないものごとが多すぎるのだ。

何が一番悔しいのかと言うと何の手も差し伸べられなかったこと。まるで手入れをしないまま枯れていく花のように。この状況に何もできなかった自分自身を悔やんでしまう毎日でもある。どのようにこの気持ちを整理していくのかを、この週末にもう一度考えていきたいと思っている。

こんなときは犬と散歩に行く。犬に行き先を任せて、緑道や公園を歩き、気持ちを落ち着かせていく。深呼吸する。朝の新たな空気をリロードする。僕の身体中に沁み渡り汚れきった思考を綺麗さっぱり(とは言えないものの)と洗い流す。そんな毎日を繰り返してきたこの一年だった。

若者には希望がある。しかしその希望を亡きものにしようとする者も存在する。そんなドロドロした世の中で僕は一体何ができるのかを考えてみる。小さな小さなことなのかも知れないが、少しずつでも前に向かってみるという気持ちが溢れてくる。ひたすら考え抜いていくことが大事。

僕は迷っている。この先どうすればよいか迷っている。時間軸で考えれば大した問題ではないのか、それとも。ゲームオーバーの前に気づける仕組み。ゲームオーバーにさせない勇気とおせっかい。勝海舟先生と坂本龍馬先生のような関係。もう一度、自分自身を奮い立たせていきたい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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