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「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」<その1>。

2019年の年末に向けて、5年前の2014年に講演させていただいた「サポーター・アイデンティティ  ~We will always be here,ever~」の内容を、備忘録として何回かに分けて記していきたいと思う。少し古い話だが、少しでも新しいファンやサポーターの方に届けば良いなと感じている。

また、サポーターという生き物とは縁遠い方にとって、一体何を考えてどう行動しているのかという「生息体系」なんてものも、この機会に少しでも知っていただければなと思っている。少々面倒くさい内容になっているのも否定できないが、大きな心でお読みいただければ幸いである。

(全て当時書き起こしていただいたママ)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

●はじめに
―講演に入る前に、伊庭雅浩氏とは?ー
~「サポーターとは何かをみんなで考えていきたいです」~

(司会より)
今日の講師の紹介です。
東京からお越しの伊庭雅浩さんです。
東京のスカイツリーの近くに住んでいます。
43歳、エースという方、赤松さんと同い年です。
・サポーター第一世代
・セレッソ大阪最初のサポーター
・蹴球堂のオーナー
・テリ子という愛犬がいる。
それではよろしくお願いします。

(伊庭氏、以下略)
こんにちは。
伊庭です。
知ってる顔も初めての方もいますね。
初めての方は?

・・・・・2人ぐらいですかね。

セレッソのサポーターのトップだとは全然思ってないです。
はじめに作ったとも思ってないです。

今日はサポーターとは何かをみんなで考えていきたいです。

タイトルは「サポーター・アイデンティティ」
僕がつけた訳ではありません。

特に歴史の話をします。
ほとんど原稿も資料もないのでアドリブでいきます。
ヤジをいれてください。
ITが好きなのでMacとiPhone使います。

―自己紹介
~「サポーター生を設計しよう」 「職業サポーターにならない」 「あまり背負わず楽しもう」~

伊庭雅浩です。
珍しい名前ですが出は愛媛です。
子供の頃は画数が多すぎて書けなかったです。

dobro代表と蹴球堂のオーナーをやっています。
SNSもぜひフォローお願いします。

大阪生まれ、大阪育ちです。

6年前から東京のスカイツリーのあたりに住んでいます。
毎日スカイツリーや犬の写真をアップするのが趣味です。

ボランティアもやっています。
2002年からボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアへのボランティアをしています。
東京でコソボへのボランティアをやっています。

セレッソが好きなので試合をよく見ます。

今は中々難しいですが、若いころは年間250試合見ていました。
若いころの思い出が沢山あります。

好きなクラブはエバートンとインテルです。
ピンクのクラブと似ていて、強い時と弱い時の波が激しいです。

蹴球堂、dobroの代表、オーナーをしています。みなさんのご愛顧のお陰です。改めてありがとうございます。

とは言え、すごいと思わないでください。フツーの社会人です。みなさんと同じです。東京の会社の部長です。

今日伝えたいことは3つあります。
1つ目は「サポーター生を設計しよう」
2つ目は「職業サポーターにならない」
3つ目は「あまり背負わず楽しもう」
今日伝えたいのはこの3つです。

ー考えたこと、思ったことはすぐに行動に移そう
~「尊敬している父親から、記事を見せられて、「やらんでええんか?」と言われました。
それで、やらなあかんな、となりました。 」
「ノンアポで、ヤンマープロサッカー推進室にいきました。 
ドアを開けて「サポーターになります」と言ったのが最初です。」~ 

サポーターになったきっかけですが、
僕は大阪で生まれ育ちました。
1992年にJリーグが開幕しました。
当時、大阪のサッカー好きは青と黒のクラブの応援に行っていました。
みなさんも万博に行ったことあると思います。
僕たちのサッカーの見方が変わってきた時代です。
プロ化によってサポーターも変わりました。
1993年夏、産経新聞にヤンマーがプロサッカークラブを作るという記事が出ました。
父親が私に載っているという話をしました。

●父・昭文さん
2年前に亡くなりました。
B型で無骨で一生懸命な人でした。

父親は野球をやったことないのに、少年野球の監督になりました。
大阪の予選に出たことも無いチームで全国大会優勝すると言い続けました。

アホやなと思いながら見ていましたが、5年後、実際に優勝しました。

それから尊敬しています。

その父親から記事を見せられて「やらんでええんか?」と言われました。
それで、やらなあかんな、となりました。
その父親の一言がきっかけです。

ヤンマーは1993年1部7位。
天皇杯でもあっさり負けるぐらいのチームです。
プロになったらすごいとは思っていたが大丈夫かなと思っていました。

当時自分も23歳で、働いていました。
何かしないといけないと使命感を感じました。

翌日、ノンアポで梅田の茶屋町の、
ヤンマー本社の裏の、ヤンマープロサッカー推進室にいきました。
ドアを開けて「サポーターになります」と言ったのが最初です。

周りの人は「あ、そうなんですか」と驚いていました。
当時の室長の玉田さんが色々教えてくださいました。
ドアを開けてなければ何も始まっていませんでした。

ドアを開けさせてくれた新聞や父親など、きっかけだなと感じました。

玉田さんとはしばらく会っていませんでした。
3年前に西澤さんの引退パーティの時に、10数年ぶりに再会しました。久しぶりに出会えてよかったです。

去年、赤松さんからセレッソの女子の試合を観に行けと言われました。
恥ずかしいので、こそっとしていましたが、
15年振りくらいで会った(現セレッソ大阪の)社長の岡野さんから「お前なにしてんねん」と言われました。
「お前老けたな」と。
岡野さんとは20歳差ぐらいです。むこうは爺さんですね。

話はそれましたが、プロサッカー推進室にいったのがきっかけです。
その後色々な人がサポーターになってくれました。
組織になると、いろんな問題が起こります。
いいことも悪いこともありました。
いいことは1994年のJFL優勝、Jリーグ昇格。2011年ACLに出場。
逆に悪いことは2001、2006年の降格です。

個人的な思い出は
1995年Jリーグ昇格1年目の1月1日天皇杯決勝ベルマーレ戦。
0-2で負けました。
Jリーグのチームを3つ倒して、やった感はありました。
しかし決勝で腑抜けに。
戦えていませんでした。

2000年5月27日、頭から消えません。
自分たちが勝たせきれなかったという感覚です。

罪悪感を感じました。

点を取らせることが出来ませんでした。
戦えていませんでした。

そんな中で2001、2006年降格のつらい時期も味わいました。
その間に仕事で東京勤務になりました。
今はほとんどセレッソの試合は観れません。
キンチョウスタジアムは2回しか行ったことがありません。
でも活気があって頼もしいですね。

個人的な想いとしては、今年は20年の節目の年なので優勝したいです。

―「あっ」と思ったときには行動に移す
~思った時に行動することを大切に。 
年齢、立場的にできないこともあるが、 セレッソのためにできることをやりたいです~

僕の座右の銘は、
「物事には全て理由がある」
「習うより慣れろ」
です。

「セレッソ大阪にモノ申す」という掲示板を作りました。
2ちゃんねるで炎上もしました。実名報道などもされました。

普段は2ちゃんねるは見ませんが、
この前ちらっと見たら、
「長居のスタジアムに行ったら東京からI庭が来ている。」との書き込みがありました。

1999年にANIMO!セレッソ というラジオ番組で、
衆議院議員の山本太郎さんなどと一緒に5~6回ラジオ出演しました。
スタジアムに来てもらうためのきっかけ作りをしていました。

セレッソの選手と仲がいいと思われていますが、
個人的な繋がりはほとんどありません。
わざと距離を置いています。
練習場にも行かないし、選手にも話しかけません。

2007年U-17 ワールドカップ韓国開催に
柿谷(曜一朗)が出場したフランス戦を見に行きました。

柿谷のゴールがクローズアップされていますが、実際は途中交代しています。

試合後、柿谷がセレッソサポーターに挨拶に来た時にうなだれていました。
心配なので、めったにしないバスの出待ちに行きました。

柿谷がうなだれていたので、思わず柵を乗り越えて慰めに行きました。
こんな風に、考えるよりも先に行動してしまいます。

スルガ銀行チャンピオンシップ という大会があります。
南米のカップ戦優勝クラブとナビスコカップ優勝者が戦う大会です。

2008年から開催で第一回がガンバ対アルセナル戦。
長居で開催することになったのですが、長居での試合に不満がありました。

ガンバが長居を使うこともだが、なぜ長居でやるかの説明がない。

セレッソの事業部長に質問しました。
セレッソ側もずっと言い続けているが、日本サッカー協会が決めたので仕方がないと言われました。

東京にいて、いてもたってもいられなかったので、
日本サッカー協会にノンアポで行って、運営委員長の田嶋さんに会いたいと言いました。
受付の女性が困っていたので、警備員が集まって来ました。

電話してしばらくしたら、男性の方が降りてきて、名刺交換をしました。
当時、事業部部長代理だった奥田さんと30分ぐらい話をしました。

僕の質問に対して、説明をしてくれました。

スルガ銀行チャンピオンシップは4万人の屋根付きスタジアムである必要がありました。
選択肢は2つ、神戸か長居のどちらか。
(だから)田嶋さんが決めた、と。

長居はセレッソの聖地。
(ホームのゴール裏を)ガンバに使用されるのは嫌だと言いましたが、
話し合いの末引き下がりました。
結局試合は長居で開催されました。

あの時もっとやれていた。
もっと自分に力があればと感じます。

その後、セレッソの宮本さんから連絡がきて、
「無茶するなよ」と言われました。

思った時に行動することを大切に。

年齢、立場的にできないこともあるが、
セレッソのためにできることをやりたいです。

今ならクラブの成績もいいので好きなことができる。
すぐに行動に移れるサポーターでありたいです。

次に続く。

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コメント

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スカイウォーカーがまたひとり。

毎年のことだがどれだけ忘れれば良いのかと思うくらい忘年会の予定が入っている。多くの方々と2019年について語り合うのは本当に楽しいし学びの場でもある。今年の年末はセレッソ大阪関連の試合もほぼ無いに等しいので、できうる限り参加したいと考えているがどうなるだろうか。

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多分サポーターもそうだ。Jリーグの各クラブでも「脈々と受け継がれる」ケースと、「そのもの自体取って代わられる」ケースの両方が存在している。国家の事例と比べる気などさらさら無いのだが、世界の中で日本という国の歴史がここまで続いてきたという話と、どこか似ている気がする。

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僕らのJリーグの火を灯し続けたいと思う。明日からは枠が許す限り(というか自分の裁量やろうが)歴史の話を多く取り入れていきたいなとも思う。ちょっと老害に近い状況を生み出すかも知れないが、それも歴史の一部だと思って受け止めてくれれば幸いである。さていつまで続くのやら。

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