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「いつ終わるか」ではなく「どう終わるか」。

いや、クリスマスイブである。この前12月に入ったなとか思ったりしていたがいやはや時間が経つのは人が考えるよりも進みが速い。40代最後の年もあと一週間しかないのが正直信じられない気持ちで一杯ではある。が、これも人生の一幕だと思えば少しは華やかに見えるのかも知れない。

それにしてもこの一年は公私共に激動であった。始まりあるものは必ず終わりを迎えるのが常である。少なくともこの2019年も毎年に漏れず、多くの出会いと別れが存在した。「さよならは別れの言葉じゃなくて再び逢うまでの遠い約束」。誰かの歌がこの薄っぺらな胸に突き刺さりそうだ。

誰もが時間的制約の中で生きている。死を恐れて生きるほど愚かなものはない、とは口が裂けても吐ける言葉では無いが、人間いつかは命尽きるときがやってくる。だからこそ問題点は「いつ死ぬか」ではなく「どう死ぬか」もっと言うと「死ぬまでどう生きるか」に事の本質があるのだろう。

子供の頃に一度だけ死にかけたことがある。詳細は別の場に譲ろうとは思うが、もしそこが最期だったとしたら、その人生を僕は満足に生きていたのだろうかと大人になった今でも時々思い出してしまうのだ。勿論そのときには意識が無いので周りに迷惑ばかりをかけたのだろうけれど。

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が公開されて5日。小学生低学年だった1977年、両親に連れられて映画館に行った第一作目(今ではエピソード4新たなる希望、なんていう大層なサブタイトルが付いているが)の記憶は、今や僕の頭の中の消しゴムが全てイレースしている。

しかしながら映画の素晴らしさやSFの醍醐味という僕の人格の一部を受け持っているこれらの要素は、いつまでも脳みその中でグルグルとうごめき続けている。続編が出るたびにその要素が多く貯まっていき、ときには外に吐き出しながらこの40余年を生きながらえて来たような気もする。

そんな、僕らの時代を席巻してきた”スペースオペラ”が遂に完結する。人生と同様紆余曲折しながらここまで歩んできたスター・ウォーズシリーズの集大成となる本作。僕はさもルーティーンのごとく、いつもと変わらぬ映画館左寄りの通路側を選んで、この三時間に迫る大作を鑑賞した。

始まりあるものは必ず終わりを迎える。そして次の世代を切り開いていく。評価などどうでもいい。この終焉を迎えるときを共に過ごせただけで僕は満足している。「いつ終わるか」ではなく「どう終わるか」。見届けた僕は余韻を残しつつ席を立つ。多分、消しゴムは、役には立たない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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