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正しい解釈と判断、選手との距離感。

これは本当に効いているようだ。この雨上がりの晴れの中を歩いても、鼻の痒さがほとんど来ていない。一番ありがたいのは集中力が保てること。デシジョンというほどのものでも無いが、涙目で鼻水をすすって状況ではあり得なかった、すべての面において正しい判断を下せそうな予感だ。

鼻水同様、感情が先走ってしまうときに間違った判断や解釈、いざこざも起こりやすい。特に愛するクラブが勝てない時期を迎えたりするととかくそうなりがちだ。だが怒りの矛先がただ勝ち負けだけに向けていてはサポーターはいけないのだとも思う。とても難しい問題でもあるのだれど。

何十年もセレッソ大阪を応援してきてはいるが未だに「選手は戦っているか、戦うべきところで戦えているか」の境目は正直難しい。明らかに目に見えるレベルなら良い。だが一試合通して一人の選手がボールを持つ時間など3分に満たない。ほんの一瞬のシーンで判断することなどできない。

同じようなことを以前放送された「ロストフの14秒」というドキュメントでも数名の選手が語っていた。問題の、長谷部誠選手が香川真司選手にぶつけてしまったあのシーン。延長戦含めて素晴らしい戦いを見せた試合で、少なくともあの瞬間だけは気が抜けてしまっていたと僕には見えた。

サッカーは「どちらが多くゴールを決める」以前に「どちらが多くミスをするか」を競うスポーツだ。そのミスを少しでも減らすため、問題を見つければその場で選手に伝え、試合後に選手に伝える必要がある。リーダーのコールを待っていて、それが行えるはずもない、と個人的には思う。

試合をちゃんと見ておく。しっかり見て判断していく必要性がある。その上でこそ選手たちと向き合わないといけない。おそらく、このベルギー戦をロストフアリーナで観戦していたサポーターの一部は、気が抜けた瞬間、チャントの途中だろうがなんだろうが声を張り上げていたのだろう。

クラブが試合を開催し選手たちがフィールドで戦う。サポーターは応援する・・・だけでなく選手とともに戦う。選手のミスはサポーターが拾い、サポーターのミスを選手がカバーしてくれる。そんなサッカー文化を生み出したいと考えていた。時代は進んだとしても流れは確実に来ている。

その大事さを強く感じたのが、1997年に鳥取市営バードスタジアムで行なわれた京都パープルサンガとの公式戦だった。申し訳ないが試合内容はまるで覚えていない。ただ、選手とサポーターの解釈の距離を意識したのも事実。当時揉めた選手たちと酒でも酌み交わして話をしたいくらいだ。

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