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12年の「時」の重み。

やはりというか当然というか、今夏の東京オリンピックは一年程度延期の方向となりそうだ。これはなにも日本だけの問題ではない。直近の世論からみても仕方のない部分も多くあるのだと思う。今後の流れを考えてもディティールなどはともかく大枠だけでも早く決めてもらいたいものだ。

そんななかでも前に進み続けなければならない。サッカーショップ蹴球堂の準備をコツコツと実施していく。特に空中戦というかインターネットの世界はまさに主戦場だ。様々な趣向を凝らして手を打っていく。とは言ってももちろん承認などが遅れるのは必至だ。地道にじっくり対応する。

蹴球堂の過去の写真などを眺めてみる。店内を様子を見ているだけでも、11坪程度の店舗にかなり詰め込んでいたのが見て取れる。12年という「時」の重みなのだろうなとしみじみ感じている。一日一日をしっかりと生きていくことを積み重ねた結果に対してのこの状況だと思うと感慨深い。

長居店は度重なる水害で非常に厳しい環境下だった。それでも長く続けるのは大事なことであり大変なことなのだと改めて実感している。東京オリンピックも長い時間をかけて準備されてきたと思うと胸が痛いのも事実だ。僕ら日本人はこれから一年という「時」の重要さを噛みしめていく。

まだまだ全国で余談を許さない状態でもあるなかで、こんな内容を書くのはどうかとも思っている。しかし気持ちを高めるでもなく、また、落ち込むこともなく。常に自然体で戦っていくのが多分僕ららしい。時間は少しずつ、そして、それは確実に進んでいく。信じて未来に向かうだけだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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