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走り続ける理由。存在する理由。

東京オリンピックは正式に一年程度の延長に合意して承認されたようだ。選手ファーストという言葉が出ていたようにこれからは、選手枠や年齢制限の問題、何より環境の準備なども含めて走り続けなければいけないのだろう。開催には多くの壁が存在すると思うが、応援したいと思う。

話は変わるがインターネットは本当に便利な道具だ。時間の壁、距離の壁、言語の壁などを越えていくことができる。僕自身かなり利用しているほうだとは思ってはいるものの、まだまだ可能性を活かしきれていないのも事実。さらなる向上を目指して精進していかなくてはならない。

特に、メッセンジャーというツールに頼ることがことさら多い。人見知りの口下手でトークが苦手な僕としては物凄く重宝している。今日もたくさんの方に向けて送信した。僕らはつながっていると認識する。会話の文化、電話文化、メール文化、メッセージ文化そしてチャット文化。

コミュニケーションには様々あり、そのひとつひとつはしっかりと「理由」が存在する。僕の座右の銘でもある「物事には全て理由がある」。意味のないものなどこの世には存在していないと自分なりに解釈している。なぜなら「意味がない」という言葉にもちゃんと意味は存在する。

言葉には言葉の存在理由があるように、サッカーショップ蹴球堂にも存在する理由、存在しなきゃいけない理由がたくさんある。長居に無いといけない理由もそのひとつ。そんな多くの理由が僕らを突き動かしている。まさにNEVER STOP,NEVER GIVE UPだ。そこに存在しているのだ。

周りから「セレッソ大阪が人生の一部だな」とよく言われる。少し訂正させていただく。「セレッソ大阪が身体の一部」が正確には当たっている。いや、もしかすると、僕らが「セレッソ大阪の一部」なのかもしれないと考えると、走り続けてしまう理由が見えてくるような感もある。

大小存在する理由を数えればきりがない。それでいいじゃないか。それで充分幸せだ。それでOKなのだ。そんなことを考えていたらまた何か沸々と湧き上がるものがある。まだまだやるべきことは残っている。吉本新喜劇的に言うと僕らは「止まると死ぬんじゃ」なのかもしれないな。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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