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2020年3月11日に想う。

まずは東日本大震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈りすると同時に、被災されました方々に心よりお見舞いを申し上げます。



毎年この日に思い出してしまうことがある。あの3月11日に家まで三時間かけて歩いて帰った道。震災後に訪れた街が、街として呼吸していなかったように感じた光景。神戸やボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボなども見てきたが、どれとも違う姿。それがはっきりと脳裏に焼き付いている。

「鎮魂」と言葉で表すのはとても簡単である。こんな、行事的にしか書くことができない(いや気持ちは常にあるのだが)ようではいけないと自分自身も罪の意識に苛まれる。9年が経過した今でも苦労されている方々が未だ多く、継続して支援されてる方々もいるなかで自分はどうなのかと。

良い行ないとか悪い行ないとかってなんだろう。悪の反対側が必ずしも正だけということはない。災害が起こるたびに僕は毎回そんな思いを抱いてしまう。そして、いつまでも覚えていることと記憶から消したいと願うことは、その人その人の気持ちによって、捉え方もまったく違ってくる。

何が良くて何が悪いかなんて、こんなちっぽけな僕に判断できるわけがない。それでも日々は続き、毎日何かが起こる可能性を考えて生きることはできる。人はみんな誰かに支えられ、誰かを支えて生きていくもの。今改めて、あのときの助け合いの気持ちを日本全体で持たないといけない。

翌朝。3月12日の東京スカイツリーはまだ建設中だったのだ。そんな他愛もないことにも気付かされた(Googleフォトというツールは実に素晴らしい)。9年という月日は僕の魂にさらなる変化をもたらすのだ。もしかすると足りないのは、マスクよりも電気よりも「強い心」なのかもしれない。

そういや、2011年シーズンも確か開幕戦のあとは延期や日程の調整などかなり大変だった。記録を見てみたら第2節は7月2日に行なわれていたのだな。国ができること、地域ができること、サッカーがスポーツができること。そして何より、自分自身が何をできるのか。今一度考えていきたい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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