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元旦の国立。浮足立つ。

ようやくヨーロッパチャンピオンズリーグのラウンド16ファーストレグ&セカンドレグの一部を見た(といってもハイライト)。もちろんのことながら無観客試合もいくつか存在はした。だが、順当も波乱も織り交ぜながら、すべての試合が熱い戦いであり素晴らしいプレーの連続でもあった。

サポーターの暴動や災害での中断や延期はあったものの、疫病によってこのような事態になるのは僕も体験したことがない。特にセレッソ大阪の話に限ってみれば、これだけ長く公式戦が無いシーズンは無かったと記憶している。2011年の震災の際も、リーグは中断したがACLは戦っていた。

それは9年前の話なのにかなり昔のように感じる。対して神戸の震災はというと実に25年だ。この1995年、セレッソ大阪はJリーグで初めて戦うことになっていた。その三週間前にはJFLでありながら旧国立競技場で天皇杯ファイナルを戦っていた。悲喜こもごも非常に感慨深い年だったと思う。

いたるところで話をしているのだが、ベルマーレ平塚とのファイナルは2000年5月27日の”あの試合”同様に、僕の心の中に大きなインパクトを残している。今風の言い方をするとまさに「テンパっていた」ということだろう。それだけサポーターという存在に甘え、そして浮足立ってようだ。

そう。僕らはサポーターの”はず”だった。なのに、そのサポーターがやらなくちゃならない「選手の足が止まるとき、その一足を出させないといけないとき」に。選手を勇気付けるという行為を僕らは忘れてしまった。要するに、元旦の決勝に国立にいることで、既に満足してしまっていた。

この大会。ヴェルディ川崎に勝ち、浦和レッズに勝ち、横浜マリノスに勝ったとはいえ(勝ちに不思議の勝ちあり)、クラブも選手もサポーターも実力が伴っていないうえに、こんな状況では当然勝負にならない(負けに不思議の負けなし)。50歳を前にしても頭をぐるぐると回っている。

現在では実力もありJリーグのなかでも優勝を狙えるクラブになった。いま、応援の力がどう効果を生むのか僕には判断できない。しかし1995年のセレッソ大阪にはとても大事で必要なファクターだった。大事で必要であるにも関わらずそこを怠ってしまった罪をこれからも背負っていくのだ。

今日は何とかなったが「セレッソ大阪サポーターの歴史について少しずつ書いていく」なんて言ってしまったせいで少し困っている。最大のネックは僕に記憶力が無いっていう問題なのだ。できれば誰かのフォローをもらいながら書いていきたいと思う。今更、もうどうしようもないのだが。

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