スキップしてメイン コンテンツに移動

歴史の面白さに触れる。

改めてここで書くと「しつこいなあ」と思われるだろう。学問の中でもとにかく歴史が僕は好きだ。特に日本の幕末明治という動乱の時代に心惹かれる。子供の頃にそれほど好きだったかと言われると中の上くらいだった感もある。しかし大人になるにつれ教養が高まり(?)今に至っている。

だが周りの方と話していてもこの歴史に興味の無い方が非常に多いことにも気付く。当然歴史とは左から右へ流れる事象を見聞きするのがオーソドックスな学びだ。もっと平たく言うと起こったことをただひたすら暗記するだけの単純なお仕事。まあひとことで言うと”面白くない”のだそうだ。

「過去なんてどうでもいい」「今だけなんとかなればそれでいい」「縄文知ってどうなんのよ」と終末論的に考えている方ばかりでは決してないだろうが、確かに淡々と流れる歴史の勉強は僕も退屈だ。だから僕も子供時代にはその程度の好きさ加減しか持ち合わせていなかったような気もする。

その理由として「歴史を”点”で考えてしまうところにある」と僕は思っている。例えば幕末の動乱を「1854年、黒船」「1867年、大政奉還」「1868年、戊辰戦争」なんて単位で見てしまうとまったく面白くない。なぜ面白くないか。そこには「Why?(なんで?)が決定的に欠けているからなのだ。

「Why?」は引き金とも言う。何故黒船は来たのか。何故将軍徳川慶喜は大政奉還したのか。何故戊辰戦争は起こってしまったのか。様々な論点はあるものの共通して言えるのは「起こるべくして起こった」ということだ。その前後の背景を見ていくのが、たまらなく面白いと感じてしまうのだ。

セレッソ大阪の歴史も”点”として捉えてしまうと言うほど面白くない(いや一部の方には楽しいコンテンツかも)。起こった事実に対し前後に発生した”点”と”点”をつないで線にしてみると見え方が180度変わってしまうこともある。歴史はまるでメビウスの環のように「てれこ」になって繰り返す。

例えば僕らがよく口にする「2000年5月27日」。涙に濡れた一日を点として捉えると「優勝に近づいたが最後はVゴールで負ける(Vゴールを知らない世代もいるのかな)」とひとことで終わってしまう。だがこの日を迎えるまでの一週間を振り返ると、それこそ実に負ける要素がたっぷりなのだ。

その記録が僕のEvernoteに存在しており、時折、戒めのように読むようにしている。とてつもなく文章が下手くそ。ここで公開することなど断じてまかりならん!な感がある。だけど・・・なんだかじわっと伝わってくる。まさに魂がこもっている。これがリアルタイムの醍醐味なのだろうな。

歴史同様にこの駄ブログも繰り返し同じ言葉がリフレインしてしまっている。文章力、語彙力の無さが如実に表れる。それでもしつこく書き続けることが大事だと思っている。ここで伝えているのはあくまでも二次史料だが、過去の日記には一次史料っぽいのもある。だからこそ歴史は面白い。

そんなこんなで一週間ほどセレッソ大阪サポーターの歴史について書いてきた。ここらで一旦お開きにしたいと思う。僕らはまだまだ歴史の転換点にいる。セレッソ大阪だけでなく、この日本という国の歴史についても一緒に学んでほしいものだ。幕末についてはいつでも話に乗る準備がある。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP