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サブスクリプションは天使か悪魔か。

このような事態になって興行やイベントが中止に追い込まれている。そのなかでも、もしかして一番割を食っているのは芸能関連だろうか。コンサートや舞台が延期や自粛ムードに満ちあふれている上に、ライブハウスで感染者が出るなどのニュースが拍車をかけてしまっている感がある。

流石に無観客で行なうわけにもいかないのではないかと僕なんかは思ってしまう。しかしながら路上ライブはいつもそんな状態なのかな、とか考えたり。僕にはこの方向の才能がまったく無いので分からないけれど、自分自身を安売りしないよう常に意識しているところにプロ魂を感じる。

最近、アマゾンプライムミュージックに大物アーティストが曲を提供していたりしているようだ。先日も見ていたらなんとaikoさんの楽曲が含まれていることに気付いた。音楽配信には消極的なイメージもあった。時代の波もそうだろうが、やはりサブスクリプションへの流れになるのか。

利用期間や利用時間、その利用量に応じて料金を支払うというビジネスモデルであるサブスクリプション。いまどんな業界でもこのキーワードで埋め尽くされようとしているのだろうか。Jリーグを見るためのDAZNなどは良い例だ(さて、Jリーグが見れない今、課金はどうなるのかな?)。

飲食店などでは試行錯誤を繰り返しているし、売る側買う側双方でも様々課題があることも分かってきている。金銭的価値だけで考えると意外と損している感もあるこのサブスクリプション。しかしながら諸々のトータルコストでものごとを考えてみると、また違った見え方がするものだ。

DAZNサッカーではハイライト映像も準備されている。例えばまとまった時間を取れない方などには、フルタイムは必要ないのでハイライトだけ見放題、になった場合の料金体系の変動など。そんなビジネスモデルも視野には入っているだろう(当然視聴ログがあるのですぐに判別される)。

加入しやすく離れやすいのも特徴だ。なので、サービス提供元はお客様の動向やフィードバックに多くの工数を割くことにもなるだろう。ここにはAIなどの技術も用いられるだろうが、人の感情を微妙に読み取る「ヒトならでは」の部分もあるだろうし、働ける場所にもなるかもしれない。

はたしてサブスクリプションはこの世の中にとって天使なのかそれとも悪魔なのか。いずれにせよ早かれ遅かれほとんどのサービスが「モノを所有する時代」から「モノを利用する時代」に変わっていくのだろう。そのときに自分自身も追随できるよう理解を深めておきたいと思っている。

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