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Google Keepで書くサッカー小説。

つい先程、2019年度のすべての手続きを終えた。毎年のことではあるが税理士先生には本当に助けてもらってばかりで感謝の言葉しか出てこない。今年度はサッカーショップ蹴球堂もようやくリアル店舗をオープンさせるつもりでもあるので、さらに厚いヘルプをいただく所存でもある。

とは言いつつも、世の中が大変な状況の中でそんな話ばかりもしていられない。東京はロックダウン間近ではないか?とメッセージが届きビクビクする日々を過ごしている。ニュースを見ていても都内の繁華街は閑散としており、やはり外出自粛されている方が多いのだと気付かされた。

そんななか、自宅にいることをポジティブに捉え前々からここでも書き続けている小説なんてものにチャレンジしている。段取り八分だなんだといつも言っている僕だが、ことこの話になるとプロットなんてものをそれほど描くこともせず、とにかく書きながら進めることに徹している。

まさにアジャイル。もちろんあっちこっちに話が飛ぶので今読んだら「なんじゃこりゃ」な感もなくはない。しかしながらプロを目指しているわけでもなく、ただ自分自身が楽しみながらが心地良い。すべてをさらけ出すのは恥ずかしいので、触りだけ話すとすれば「サッカー関連」だ。

「サッカー関連」の内容的には、様々なかたちでJリーグや世界中のサッカークラブ、選手、サポーターなんてものを書いていきたいと思っている。しかしながら僕が描きたいのは子供も楽しめるファンタジー。現実のようで現実でない感覚。適当に書いているくせにどの口が言っている。

スマートフォンで書いている(これが正しいかは正直分からないがポータビリティに優れているので何時でも書ける)が、ようやく10,000文字に到達した。通常の文庫本だとだいたい120,000文字と聞いたので、あと12倍。頑張れるかどうかが不安になってくるのが手に取るように分かる。

大半はGoogleのサービスであるGoogle Keepを利用している。ひたすらテキストを書いて書いて書きまくる。あとはそのまま放置したり引用したり。最近では蹴球堂でもチームワーキングにてKeepを利用する。とにかく汎用性と携帯性、迅速なテキストの置き場としてはかなり重宝する。

それにしても頭の中で妄想を掻き立て思うがままに書いていくこのスタイルが僕は好きだ。時間を忘れて指を動かし続けてしまう。もう少し現実も見なければならないなとか大人の対応をしてしまいそうだ。やるべきことを行ないながら空いている時間を有効活用するのも大人の仕事だ。

蹴球堂リスタートオープンには到底間に合いそうにない。だが、いつの日か誰かにチェックしてもらおう。お作法などはまったく知らないし勉強したこともない。だから滅茶苦茶な構成になっているものと思われる。それでも構わないと言ってくれる暇人を、僕は探したいと思っている(笑)

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コメント

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