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知覧。

鹿児島二日間の滞在では在住のセレッソ大阪サポーターの方々に大変お世話になった。スタジアムでは「身体は大丈夫ですか?」と声をかけていただいたり、まだまだ存在してもいいよと認めてもらっているような気がして生きていることを感じた。

最近特に存在感が無いと言われるので非常に有難いことだと思うと同時に、ここに存在する価値をどう見出していくかが本当に大切なのだと改めて考える次第。それが生きる希望になることを頭では理解しているがどうも身体がついていっていない。

そんな鹿児島の二日目。知覧に連れて行ってもらった。以前にも書いた通り自称歴史好きであるにも関わらず、あの戦争のことについてはほとんど学ぶ機会を得てこなかった。いや得ようとしなかったと言ったほうが正しい言葉なのかもしれない。

この数年書籍などを目にすることも多くなり、多少なりとも知識を頭に入れることはできたと思っていた。日本の置かれた環境や戦地の困難な状況、人々が持っていた感情といった情報を取って付けたかのように得て、僕は知った気になっていた。

富屋食堂を訪れた。そこで鳥濱トメさんと特攻隊員の方々の交流を知った。まだまだ無知であった自分を恥じた。展示されている品や手紙、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんと若き特攻隊員の会話が綴られた文章を読むだけで目頭が熱くなった。

あの作戦が正しかったのかそうでは無かったのかを問う資格は僕には無い。しかしながら若い命を懸けてでも守るべきものとはなんだったのだろうか、「生きる」とはどういうことなのか「死ぬ」とはどういうことなのかを僕は改めて学んだ気がした。

「人生は”死ぬ”ために”生きる”んだ。そしてそれは長さじゃない」と尊敬する方から言われたことを思い出した。十代、二十代で儚く命を落とした特攻隊員の方々と支え続けた鳥濱トメさんがいたことを決して忘れてはならないと強く感じた知覧だった。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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