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14年後のイベリア半島ダービー。

今現在、飛行機の中でこのブログを書いている。これから鹿児島に向かうところではあるが久々の遠足でもあるので本当に楽しみだ。幸いにも天気は持ちそうでもあるしまずはありがたい。サッカーと歴史の二日間を思い切り楽しんできたいと思う。

そんなことをタイプしながらも、今朝録画で見たワールドカップのポルトガル代表対スペイン代表の試合。その興奮が未だ収まらない自分もいる。ハイレベルで情熱的でそして結果としても申し分の無さ。朝から僕と犬の唸り声だけがこだました。

いつも驚かれるのだが新婚旅行がEURO2004ポルトガルだった。新婚旅行でサッカーを見にいく、それもヨーロッパ選手権とか理解できない方も多いしれない。そんな人とは違った人生だ。まあその前に「結婚するとは」と驚嘆を生んだわけだが。

試合前には北澤豪さんに会って写真撮ったりエウゼビオさんを見たりと楽しんだ中でも、リスボンで見たクリスティアーノ・ロナウド選手に感動したことに身震いする。弱冠19歳の若者だった彼がガムシャラに走っていたことを今も思い出す。

そのEURO2004で見たイベリア半島ダービーから14年。彼も今や33歳になった。この14年間は彼にとっても僕にとっても素晴らしいものであったと思う。若干(なのか)のレベル差はあるが、あの頃を思いながらこの先の人生を進んでいくだろう。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP