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日本の歴史と日本人の感性。

日本人の持つ独特の感性が「ハンパないって」と常々感じている。最近特に感じる機会が増えている。勤勉さ生真面目さなどを超越したところの何か。精神性というものでもなくかといって神秘性が伴うものでもない。説明が難しいがそんな感覚だ。

話が続いてしまって恐縮である。先日訪問した鹿児島の旅。目的はこの三点「アミーゴに会いに行くこと」「セレッソ大阪U-23の試合を見ること」そして「鹿児島の歴史に触れ合うこと」。今回は三つ目である「歴史に触れ合う」について書きたい。

幕末、特に黒船来航前後の1850年代から西南戦争が終結した1870年台後半までの約20数年。この間の混沌とした日本が好きでたまらず、有名無名問わず日本全国のあらゆる史跡をGoogleマイマップに登録し、そして近隣訪問時に寄るようにしている。

幕末、明治初期というと非常に難しいと思われがちだ。攘夷、開国、公武合体、佐幕、尊皇、大政奉還、倒幕などが複雑に関わり合う。何が正しくて何が悪いかだけではなくまさにカオス(混沌)な状況であったことを歴史が色濃く物語っている。

僕は歴史学者でも研究者でもなく只の歴史好きなだけの男なので歴史の矛盾に首を突っ込むつもりは毛頭ないのだが、不可解な事件が多いのがこの時代の特徴だとは思う。そこに日本人の独特の感性というものが大きく関わっている気がしている。

今日の深夜にセネガル戦が行なわれる。緒戦において日本代表が見せてくれた独特の感性。それを再現することができるかどうか。身長差年齢差など厳しい場面が多くなるとは思うが、物理的な要素を覆す何かが起こる可能性は十二分にあるのだ。

そして鹿児島といえば「ハンパない男」大迫勇也選手。あのゴールには正直感動した。旅の途中で後援会会長にお会いしたことも思い入れが大きい理由でもある。真夜中、感性を歓声に換えた僕のハンパない絶叫。彼がそれを巻き起こすに違いない。

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準決勝の「オーラ」と決勝という名の「オーラ」。

相当な風邪っ引きである。自然と鼻水が滴ってくるので最近ではポケットティッシュが無いと生きていけない、そんな毎日。病院嫌いもあってか市販の風邪薬だけでしのいではいるのだが、これ以上になると本当に年末年始が厳しいのでなんとかしたいと思う。

そんな体調の中、行きは飛行機帰りは新幹線の日帰りで、陽が射すと少し暖かい気もした聖地長居スタジアムへ行ってきた。天皇杯準決勝であり更に近隣同士の対決となると観客数も多くなり、セレッソ大阪側の自由席はほぼ満席になっていた。

著しい思考能力の低下も有り、空いている席を探し見つけて腰を下ろす。右隣には若いカップル、そして左隣には大家族。POWER AND THE GLORYを熱唱する叔父さんを後ろに控え、のちに「オーラ無さすぎ」とボヤかれるような風体でジッと試合を見ていた。

試合は皆さんのご存知のとおりで、ヴィッセル神戸が過去の対戦とは戦術を変えてきた。お互いが多少空中戦になったことで膠着する試合運びになったが、終盤にドラマが待っていた。確かにあの場面で失点した瞬間、頭が真っ白になってしまったのは否めない。

しかしながら今年のセレッソ大阪は選手、ファン・サポーターとも諦めが悪い。あの場面も正直言って負ける気はしなかった。点は取れると感じた。「あとロスタイムしかない」ではなく「まだ時間有る」というポジティブな感情しか存在しなかった。

まだまだ達してはいないがこれが「勝者のメンタリティ」というものならば、あのルヴァンカップセミファイナルが心の奥底に存在していたかもしれない。それが「オーラ」。そして昔からそのようなシーンが沢山あった。そんなことをしみじみ感じている。

決勝の相手は横浜F・マリノス。今の若い方たちには馴染みのない試合ではあると思うが、この準決勝のような試合のダイジェストを改めて見てみた。17年前の気持ちが高ぶる。元旦にサッカーが出来る喜びを噛み締めつつ、勝って2017年シーズンを締めくくりたい。

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入退院あれこれ。

話題になっていたあのアメリカンフットボールの試合。テレビで問題のラフプレーシーンを見た。悪質極まるプレー自体に憤りを感じるとともに、被害を受けた選手の怪我が早く治ってほしい、そして、選手生命が続くよう祈るほかはない。

このニュースを知らなかった理由。それは先週から入院していたからであるのだが、以前からここでも書いていた通り鼠径ヘルニア手術のために木曜日から入院。そして今日、晴れて退院した。自分自身もとにかく、ホッとひと安心している。

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午前中仕事をしてから午後に入院。病院までは歩いて15分程度。手続きの際、保険組合名を見て事務員さんから頂いた言葉「御社の電子カルテシステム、前の病院で本当にお世話になりました」。どんな場所でも人は繋がっていると強く感じた。

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”水の街”のサッカーショップ。

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