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第31節 湘南ベルマーレ戦。#スーパージンヒョン。

以前から書いているが、どうもヨーロッパから戻ってからというもの、気持ちが前に向かないというか何というか体調が優れない。特に右足の指がとても痛い。持ち前の変な感情と気力だけで保っているところもあるが、やはり病院などに行ったほうが良いのだろうかと考えてしまう。

そんな状況でお世話になっている組織で様々な催しなどを企画している。今週はデンマーク(いやロンドンとも言う)報告会を、そして「超拡散ブレスト」を先週末から開始している。長年同じ組織で培ってきた経験とそれによって得られた自分の能力を生かしていこうと考えている。

本当に申し訳ないのだがキム・ジンヒョン選手のJリーグ通算出場数が361試合となり、森島寛晃社長のクラブ歴代記録に並んだとのニュースを試合後のTwitterで知った。11年という長きに渡って外国人選手(もうそんな意識無い)が同じクラブでプレイするのも素敵なことなのだろう。

ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督の就任によって、更に進化の一途を辿るジンヒョン選手。ここから年齢や怪我、様々な課題も増えてくるだろうし、常に変わり続けるサッカーに対応していくことも簡単では無くなってくる。しかしながら何時までも同じクラブで戦い続けたいものだ。

少なくとも三度は存在した”スーパー・ジンヒョン”。今シーズンを象徴するかのようなウノゼロ。31試合戦って失点23は素敵な数字だ。決してゴールキーパーだけの結果ではないが、彼の存在が大きく影響しているのは間違いないはず。新たなレジェンドの誕生を素直に喜びたいと思う。

残り三試合。アウェイ・ホームを関西で行ない最終節は大分。結果がどうなるかは別の次元であり、まずは自分たちのサッカー(この表現もどうだろうか)を貫いて勝ち点9を掴み取る。体調の問題もあるので僕はNJを見ることになるのだろうが、クラブの歴史と未来を共に堪能していく。

余談だがスーパージンヒョンチャント。本当に凄いなと感じる。20年くらい前に”ファンセ”ファン・ソンホンさんに向けて作ったチャイムのリメイク。間違いなくセレッソ大阪しか、いやセレッソ大阪だから見せられる他クラブとの違い。誰にも真似できない。それでいい。自信持っていい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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