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歴史の1ページ。

毎年のように正月一般参賀で皇居を訪れていた身をご存知の多くの方から「パレードはいかがでしたか?」と常套句のように聞かれる。実のところ今年になってからすべての行事に参加できていない(と書くと如何にも関係者っぽく聞こえるが、全くもってそんなことはあり得ない)。

特に先週末についてはいつもの体調になかなか戻ってこれず、どうしたものかという気持ちで過ごしていた。そんな心持ちを切り替えるため、パレード中継が始まるまでに図書館へ行くことに決めた。中野区に引っ越してきてから実に半年以上経ってようやく登録を行なったのだった。

少しこの行事に話を戻すと、体調が良くないときに参加すると一番大変なのがトイレだということを感じる。一般参賀の時でもそうだがかなりの人数でしかも結構な時間を並ぶこととなる。少々些末な話ではあるが最近は回数が多くなり(これは歳のせいか)心もとない状況になる。

身体のせいばかりにしがちではあるが、元来人混みが苦手な人間でもある。できればひとり静かに体育座りをしているそんな場面が好きな性格。僕が図書館を愛する理由はそういうところからも表現されているのだろうと感じる。そう独りごちながらテレビを見るために家路に着く。

東中野図書館の近くに氷川神社があるので立ち寄った。ここには昭和十五年に建てられたと記されている「紀元二千六百年記念」の碑がある。以前住んでいた浅草近辺の神社にも勿論のこと趣があったが、ここ中野区のそれらにも、地場で培ってきた伝統や日本の文化が存在している。

考え方や思いは人それぞれではあるのだろうが僕は日本の歴史の深さを改めて感じた。人間ひとりひとりの歴史はせいぜい100年。でもその繋がりや繰り返し、積み重ねによって僕らが今ここに存在していると思えば、なんだか背中を押してもらっているような気にさえなってくるのだ。

天皇陛下御即位からパレードまでの一連の行事。また訪れるであろう正月一般参賀という歴史を僕は再び感じることができれば幸いだ。そんな思いでTVモニタに映るパレードの様子を見ながら、またもう一枚と歴史の頁を開き始める。あと何ページを僕はめくることができるだろうか。

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