スキップしてメイン コンテンツに移動

バイアスを乗り越える。

若者とクソ真面目に話をするのが本当に楽しいと思える年齢になった気がする。先日もとある出会いで二時間ほど色々と語り合ったのだが、彼らには実にしっかりとしたビジョンが存在していた。そのおかげだが、会話があっちこっちに広がる広がる(広がりすぎてとんでも無かったが)。

それにしてもバイアスというものは実に儚い。「そういうものだ」「そんなものは昔から決まっている」「変えられるはずがない」という言葉に飽き飽きしている今日このごろでもあったので、今回のダイアログはとても新鮮であり、また、この若者の未来に僕自身もワクワクしてしまう。

ここにはふたつの観点がある。ひとつは”助け合い”という側面。もうひとつは経済的な側面だ。昨今この国の課題となりつつあるこのふたつの観点を常に意識して、自分らしさや自分ができることに努めながら生きようと思い始めている(なかなか思うようにいかないのが人生でもある)。

本当にたいした内容を説明したなどと思ってはいない(それはそれで不味い笑)。ただ、30年以上この仕事をしてきたという知見や経験が、ほんの少しだけでも人のお役に立っているのならば本望であるとも感じている。こういうとき「人は人を助けたい」という本能が必ず働くのだろう。

そして、この日本という国の未来。僕も遅かれ早かれ更に歳を取り、今この世界で戦いを始めようとしている若者に支えられて生きることになる。彼らのような若い方々が企業や自身の組織などを成長させ、日本の経済そのものに大きなインパクトを与えてくれたならば僕の老後は安泰だ。

少々個人的感情も色濃く出てしまった(笑)。しかしながら、誰もが死ぬまで豊かに暮らせる日本の未来がやってくるのであれば、たとえ早死家系(!)の僕としてもこの上ない幸せになるやもしれない。そのために活かせる能力であれば、惜しみなく利用したいと考える今日このごろ。

さて身内に向けて行なっている「超拡散ブレスト」も盛り上がってきた。とにかく何でもどこにでも拡散していくこのミーティング、拡散し過ぎるくらいが僕には丁度良い。若者は決して考えていないわけではない。僕の馬鹿げた言葉をしっかりと受け止めて、次へ進んでくれるはずだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※改めて経済学など聴き始めてみる・・・


コメント

このブログの人気の投稿

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP