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最善の策を取るには。

セレッソ大阪フロントに関するニュースが流れた。僕がとやかく言う話では無いが、様々なことが起こっているのを、二ヶ月前に帰阪の際に多少は聞いていた。まずは静観しておきたいとは思ってはいるのだが、果たしてどうなるのだろうか。残り二試合あるのに少し心が揺れてしまう。

多くの問題は時間とともに風化してしまう。僕も仕事柄多くの問題や失敗をつぶさに見てきてようやく分かってきたが、この手の話は権力などの諸々の力によって方向転換や論点をすり替えられてしまう。だからあまり考えすぎず、自分自身の目の前の課題に取り組むべきだと学んだ。

そういや、今、NHKの「ミス・ジコチョー~天才・天ノ教授の調査ファイル~」というドラマにハマっている。とても素敵な松雪泰子さん演じる大学教授が、問題や失敗に対しある側面から観察し解決に導いていく、まさに企業や組織が抱える課題にぶっ切り込んでいくドラマでもある。

どんな対策を行なったとしても100%はあり得ない。なぜならそこには人間が介在するからだ。人間には感情があり柵があり、流される。それより何より人間は、都合の悪いことほど忘れてしまう生き物でもある。そのような状況下で問題が起こらないと過信するほうが、どうかしている。

事故や問題、失敗はどんな組織にも存在する。僕もメンバーには常々”ハインリッヒの法則(1つの重大事故の背景には、29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという、あれ)”を用いて説明をするのだが、それでも事故は、起こるべくして起こる。避けられないのだ。

だからこそいつも最善の策を取るために考え続けて、そして手を打ち続ける。今回のニュースがどこまで信憑性高いかは僕は知らないが、最も重要なのはロティーナサッカーの継続と実践できる選手たち。ここからどうなるのか、どんな手を打つのか。まずはじっくりと見ておきたい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※MacBook ProからChromebookに変えてみた。今のところ問題は、ない。

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