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出会いかたにも魅力がある。

引越し後の部屋の片付けがまだ終わらない。開けていない段ボールも多くしばらくはこの状況が続く気がする。その中でも書籍関連だけは既に本棚にぎっしりと並べられている。本好きとしては当たり前の行動だが、順序を間違えると諸々不都合も出るので考えものだ。

紙はもちろんのこと、オーディオブックや電子書籍も含めて年間100冊を目標にしているのだが、この数年は中々達成できていない。特に今現在、電車に乗る機会がかなり減っているのと映画好きが相まって、本への情熱が翳ってきているのはある意味本音かもしれない。

昔はかなりハウツー本なども読んだりしていたのではあるが、最近では伝記や自伝に惹かれる。「どのように生きるか」よりも「どんな生き方をしたか」に興味が寄っていっている気がする。テクニックでなんとかするのも時には必要だが人格がより大事だと気付いた。

この前アミーゴに教えてもらった本を読んだ。「大家族主義経営」。街歩きしていた際にポスターを見て知識は得ていたのだが、読んでみて初めて、どのように素晴らしい組織や会社へ変わっていくのかを知ったり学んだりできた。自分自身のモチベーションが高まった。

出会う本には出会いかたにも魅力がある。自分で見つけるのも良いが、街で見かける、誰かに教えてもらうという出会いかたもある。そんな出会いのなかから生まれてくる新たな何か(特定のものではなくあくまで何か)が存在する。それが僕が本を愛する理由でもある。

「若者の本離れ」になっているわけではないのだが、少しでも本の魅力を伝えていきたいと感じている毎日。とある女性スタッフからの「休みのあいだで読み切りたいので本を持って帰っていいですか?」に感動した。出会うきっかけ作りに貢献できているなら本望だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP