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8月, 2025の投稿を表示しています

今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

待てば海路の日和あり。

 人生では何が起こるか本当に分からない。ある日突然大金持ちになったり、逆もまた然り。それ以外でも、意中の人と接する機会があったり、思いがけない出会いがあったり。そうやって人生を歩んできたわりには、人脈というキーワードと全くの無縁で過ごしている気がする。 なんでこんな書き出しかというと先日セレッソ大阪ヤンマーレディースサポーターの東京決起集会にお呼ばれして行ってきたわけで、そこで「ホームレスワールドカップ」の関係者と偶然であったのだ。セレッソ大阪とは関係ないことでも結構受け入れていける体質だとつくづく思う。 個人的に、ネットフリックスで「ビューティフル・ゲーム」を見たあとでもあった(実を言うとドネーションしようかと思ったが面倒になって止めていた)から、余計に親近感が湧いてしまって、あれよあれよという間にいろんなことを進めたくなってしまった自分がそこにいた。 もちろんのことながらホームレス・ワールドカップも資金に苦しんでいる(のだと思う。ブラインドサッカーの際にも同じようなことがあった)。何人かの仲間を紹介しようと画策しているがどうなるだろうか。あら、意外と人脈あるじゃないか。そう思った人はたぶん間違っている。 ともかく、人生で、答えがないものにぶち当たったときは、一歩前進したほうがいい。そのほうが何かに出会える機会が多くなる。日常でも、酒場でも、そしてスタジアムでも。まあ、人見知りが過ぎるので、誘われなければそんな場も無いのだけれど。待てば海路の日和あり。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP