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2022年。自分を振り返る。

ついに大晦日を迎えている。それにしても2022年はブログをなかなか書けなかった一年でもあった。それでも多くの方々との対話のなかで、たくさんのなにかを残していけたような気もしている。それでお腹がいっぱいになってしまったのかもしれない。 今年も昨年同様に、自分自身をレゴブロック、レゴ®シリアスプレイ®で振り返っていこうと思い、3,4分程度で作成してみたのだが、どうにも収まりが悪い。まあ皆さんにとってどうでもいいことかもしれないがしばらくのお付き合いをお願いしたい。 ========== 今年はひたすら「 コールリーダーウダウダ ではじまり コールリーダーウダウダ で終わる一年」だったように思える。たくさんの オーディエンス (某節では700名以上の方に聴いていただいたりした)が参加くださって、本当に嬉しい気持ちでいっぱいだ。 それもこれも、 セレッソ大阪 のおかげ。桜の花を咲かせるような コアなオーディエンス もいてくれたりと、とても充実したウダウダになったような気がする。クラブもそれ相応の結果を残しつつシーズンを終えたので、来季が楽しみになってくる。 少しずつだが赤く光る 情熱の量 が増えていって、聴いてくださる方々とようやく肩を並べていけるようになってきた。もっと 発信力 を幅広くしていきながら、より多くのセレッソ大阪サポーターに届くよう、一層の努力をしていきたいと思っている。 ゴールラインにかかるボールに象徴される、 ワールドカップの熱狂 も僕を後押ししたように感じている。スペイン、ドイツに勝つなんて正直考えてもみなかったが、僕自身、次のワールドカップへ行こうという情熱が、今大会でふつふつと湧いてきた。 逆に、 作家活動 と ファシ活動 はグレーな状態になっており、思ったようにおこなえなかった。なかなか筆が進まず、自分に対して角度もよくない。ファシリテーターとしてもワークショップが1回しかできなかったのは自分に対して残念な気持ちである。 それでも、 梯子 を登り、 あと押しの風 を起こして、この両翼を自分の横までは伸ばしていけるように努力する土壌もできてきた。時間はかかったものの、少しずつ自分自身を再発見して情熱を積み上げ、次のステージへと邁進していきたいと思っている。 ========== 皆さんの2022年はどうだっただろうか。過去を振り返るのは、自分自身を成

未来のウルトラ。

久々のブログである。なかなかどうして、何を書こうかと悩んでいる自分がいた。もうひとつは #コールリーダーウダウダ の存在が大きい。ここで毎週セレッソ大阪のことを話しているからかもしれない。なんだかんだでかれこれ八十回を超えてきた。 実に多くの方にも聴いてもらえていることに満足してしまっている自分もいたりして、少し戸惑いがあるのも事実だ。これを皮切りに、他のサポーターが続々とTwitter Spaceを始めてくれていることこそが、嬉しい気持ちに更に拍車をかけていく。 逆に、このような年齢になってなお、このような表舞台に立ってよいのかとも思ってしまう。若いサポーターの方々がもっと前面に出てくる世界を期待しているのだが、話を聞くたびにまだまだ古参サポーターがいて成り立つ世界だなとも感じる。 最近のスタジアムを見ていても、応援、チャント、という観点ではチームはまとまっていると見えるものの、チームのサポートはそれだけでは無い。そこにはフラッグもあり、チームや選手に対する、ゲーフラや大小様々な横断幕も存在するのだ。 例えばゴール裏の横断幕ひとつにしても、個々人がただ貼るだけではなく、全体のコーディネートも考慮して配置を考えるなどを行ってきたが、今はどのように貼っているのだろうか。場所の取り合いや奪い合いは起こっていないだろうか、など。 そんな話し合いにも、積極的に若い方々が参画できているのだろうか、とかが頭の中を駆け巡っている。先日もTwitterに書いたが、小学生たちが、ウルトラを目指したいと思う世界に、ゴール裏がなっているのか、なんてことをつい思ってしまう。 来週の今頃には、歓喜のなかに僕はいるのだと思う。その輪には未来のウルトラたちはいるだろうか。あの頃のように次の世代へとつなげられているか。柏レイソル戦の試合後、当時の小学生たちに会った。とても立派なウルトラになっている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

新年。

激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ルヴァンカップ。明と暗。

徳島戦の朝。非常に良い天気の中で朝の公園を歩く。多くのワンコと出会う。犬同士のコミュニケーションは複雑。くっついたり離れたり、におったり、におられたり。人間も同様。いつもの習慣、いつも出会う人。ともに歩く道だからこその。 とてもファイナルという空気感ではなかった。スタジアムに着いた瞬間、というよりも、前日前々日、いや、厳密に言うともっと前からその独特の雰囲気は存在していなかったように感じた。良くも悪くもその空気感が、試合の明と暗を決めた。 先日ツイッターで「ファイナルルーザー」と書いた。要は、ファイナルでシルバーメダルをかけられた経験の無いサポーターがいるのだという現実を改めて知り、その空気感というものは、こういう風に醸し出されていたのだろうかとも思った。 いつも言っているように、歴史の一部分だけを切り取って考えるのは良くない。だからと言ってすべての歴史を自分のものにするかどうかは本人次第だ。ファイナルルーザーの経験が無いからといって、それは決して、負い目でもなんでもない。 そしてそれは、ここから始まる歴史において過去の点を線で結ぶ役目があるのかもしれない。だからこそゴール裏ウルトラの話を聞いていきたいと思っている。ウダウダの延長線など、出来るだけ多くのチャネルを作っていこうと考えている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 追伸 サッカーショップ蹴球堂も併設しているコニュニティスペース「 F.C.OITO 」でのイベントにてファシリテーターを務めます。久々の大阪なので緊張しますが、ぜひお会いできれば、また、イベントにも参加いただけたりすると嬉し泣きします。 お申し込みフォーム

第30節 鹿島アントラーズ戦。

チームとして非常に厳しい期間を経て強くなるのは常である。これはまさに結束とか気持ちの面が非常に大きい。監督交代下での怒涛の十三連戦というなかで、培ったもの失ったものが生まれること、さもありなん。ここからは本当の再出発だ。 さて当の鹿島アントラーズ戦。2011年のあの試合以来ホームでは勝てないどころか引き分けすらない状況。いちチームとの勝ち負けや結果だけにこだわるわけではないとはいえ、非常に不名誉な結果であることを認識しておかなければならない。 もちろんリーグにおいての結果はある程度見えてきた。その中での次節の戦い方、そして先に控えるルヴァンカップに向けての動向が気になる。負け試合の完敗さ加減が気になるところではある。そこで次のステージに向かうために何をするか。 緊急事態宣言が明け、サッカーとの関わり方にも変化が訪れるだろう。立って応援することができるようになり、先日のウダウダ内でもあったように、声の制限も条件付きで緩和されていくことなるかもしれない。サポーターの力が必要になる。 試合後にセレッソ大阪のことを真剣に考えているサポーターの方々とオンラインでミーティングを行なった。中身については割愛するが、今日明日の話だけでなく、このクラブの将来のことについて様々な意見交換をさせていただいたのだった。 そこでも話したが、いまこそゴール裏(とあえて言いたい)のサポーターが一枚岩となってこの難題に真剣に取り組むべきだと感じている。できることは必ずあるし、その方法は無数に存在する。それらを話し合って、つなげていく必要がある。 その刹那、2008年のときに行なった「ある行動」について思い出していた。多くの関係者にもお手間や迷惑をかけてしまっていたことを再認識した。だが、この先走るかのような行動に後悔はないし、少なくとも礎にはなったと確信している。 あるセレッソの御大に相談をしてみた。やはり最後は自分自身の「感情と行動の一致」にかかってくるのだなと感じる機会となった。感情が先で行動が後(中枢起源説)か、はたまた逆(末端起源説)かは関係なく、まず動きだすことの重要性。 とは言えあれから十三年。「ある行動」への御礼を改めてしたいと考えながら、ダラダラと日々を過ごしてしまっている。歳を取れば取るほど臆病さが増えていくのも人。若気の至りとまでは言えないが、気持ちの昂りは形にしたほうが、いい

第32節 サンフレッチェ広島戦。

サッカーには不思議な力がある。これまでにも数多くの力を見てきた。だが、それ以上に、この数年でさらに強く感じている。Jリーグとの関係が人生の半分を越えたあたりから、この不思議な力への気持ちの持って行きかたを、日々学んでいる。 そういう意味で考えると、サンフレッチェ広島との試合は、クラブとしてはもちろんのことサポーターとしての自分に向けて大量のメッセージを放ってくる。縁は人と人をつなぎ、人とクラブをつなぎ、そして人とサッカーをひとつにしていく。 1995年の開幕戦しかり、1999年9月のあの試合しかり。大勝したり大敗したり、もちろん目の前で見せつけられた屈辱も併せると、このクラブとのつながりを意識しないわけにはいかない。そんなことを考えながら広島との試合を観戦していた。 今週のウダウダでも話をしたが、結果的には素晴らしいゲームで終始安心して見ていられた。アウェイクラブの太鼓が解禁されたスタジアムでも和やかに観戦できていたようだ。この日が、セレッソ大阪にとって、とても重要だったからこそだ。 時も、場所も。過去も現在も未来も。すべてがつながっている。つながっているからこそ、いまこの瞬間に僕たちはここにいて、そして我がクラブを、セレッソ大阪を愛していることを改めて認識する。そんな時間が、増加していく感覚がある。 こう書くと、いつも精神的で神秘的な話ばっかりするよな、と言われそうだ。しかしながら、巡り合わせというものは本当に存在する。試合ではその巡り合わせが、戦略や戦術同様にチームの力となっていくのだと、少なくとも僕は信じている。 そんな気持ちだけで生きているわけではないにせよ、サッカーには人には、不思議な力がある。その力に導かれて僕らはこの世界で生き永らえている。生き永らえ"させてもらっている"。また「変わった人認定」が増幅しそうだとも思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP method and materials

第29節 浦和レッドダイヤモンズ戦。

先日、セレッソサポーターの黎明期を共に走ったアミーゴが出演する 映画 を見てきた。セレッソ大阪というサッカークラブが誕生して四半世紀以上経った今、多くの人と出会い多くの人と離れ、そんな、矢印があっちこっちを向く人生でもある。 その間に人もクラブも選手もみな、生きかたが変わったり、はたまた、あいも変わらず惰性の延長線上にいる場合もある。良くも悪くも決めるのは自分自身であり、他人がとやかく言う問題でもない。時間とはそのような空間を生み出している。 今も昔も、一日が二十四時間では足りないというセリフが多く出てくる。まさに今のセレッソ大阪にもそれが当てはまる。二月から考えて七ヶ月という期間を無駄にしたとは言いたくないが、もう少し前から手が打てていればとは思えてしまう。 今日言って明日できるようなものならば、何も誰も苦労はしないだろう。時間という熟成期間が、食べ物をより美味しくしているのも間違いない。そのなかで僕らが時間の意識をどのように持っていくのか。青臭さを抜くにはどうすればいいか。 日が昇り、日は暮れていく。人間には二十四時間しかなく、たいていの場合、人生は百年にも満たない。大事な時間をいかに生きるか。何に使うのか、どこで使うのか、誰に使うか、なぜ使うか。今の小菊サッカーは、それを考えさせてくれる。 浦和戦は真の力負けだった。いま欲しいのはセレッソ黎明期の「たまたまの勝利」ではなく本当の強さ。そのためには時間は必要であり、挫けない思いが必要だ。いかにして「時間」を有効に使い、次に活かしていけるかが今は大事な気がする。 この浦和戦での完敗が、この先のシーズンで必ずや実を結ぶと信じて支える。それは出来上がったばっかりの頃からちっとも変わらないのだ。だからこそ、三十年経った今、クラブとアミーゴとつながっていられるという「時間」に感謝したい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP