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こだわらない。こだわる。

随分とこだわりが減ってきた。若い頃なら考えられないほどの何でもあり感でもある。着るものも食べるものが毎日同じライフスタイルもそれほど悪くない。日常とはそれはそれでいい気もしているが、やはり刺激というか変化は欲しくなる。

大半の大人としてはウィークデーには仕事を勤しみ、そして週末には自分自身を取り戻す。もちろん、この週末の楽しみかたは人それぞれではあるが、日常とは、まるで川の水のように澱みなく流れているものだ。まるで一週間の歌のようだ。

だが本質は違う。いまこの瞬間に起こったことが同じように明日もやってくるかどうかは分からない。だからこそ一瞬一瞬を大事に生きなければという思いに駆られ、歳を取れば取るほど時間とのトレードオフを迫られる、そんな生き物である。

宮崎キャンプの様子が耳と目に入ってくる。選手は毎年のように入れ替わるものであり、この時期の調整は毎年のようにやってくる。企業で言うところの人事異動同様に、その毎年が必ず同じであるわけがない。特に今年はそんな思いが大きい。

そんななかでも、アカデミー出身の選手たちが活躍している記事を非常に見ると嬉しくなる。ちょうど先週収録したCEREBAKAで「クラブにおけるアカデミーの重要性」を話し合ったこともあり、自身の感情はより高まっている気もしている。

それにしてもこの第三節EPISODE3の内容は、すべてのセレッソファンがこの先も意識していかなくてはならないな、と改めて感じた。毎年のように行なわれてきた昇格の例の件も然り。一年は流れるが、その流れは決して一定ではないのだ。

こだわりの意識が限りなく低い僕がいうのも何だが、やはり我がクラブはアカデミーにはこだわったほうがいい。今朝、南野拓実のセインツでの(本当に素晴らしい)ゴールを見た。これこそ、こだわってきたアカデミーのDNAがなせる技だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP

「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん」。

もうなんだか時間の流れがよく分からなくなってきている。今日が金曜日であると思い出したかのように”TGIF”を連発する。これはひとえにJリーグサイクルというか、そういうものの中で僕が生きている証拠では無いだろうか。もうかれこれそんな生活も30年近く過ごしているのだから。 その時間の流れというものが感じられない今、何を基軸に生きていけばいいのかと模索してしまう。週末、土日をどのように生きていけばいいのだろうか。やはりサッカーはJリーグは偉大だなと改めて気付かされてしまう。人生ならぬサポーター生の持つ力でもあるなとか感じてしまう。 サポーター生は「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん」という桃園の誓いようなものだ。桃園の誓いとは、三国志における劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳の三人が志をひとつにした有名なシーンだ。横山光輝先生の三国志ファンでもある僕の好きなシーンでもある。 「いつなったのか」など愚問であり、今ここでどう生きているかが大事なのだと思う。とはいえ、すべてのサポーターの「セレッソ大阪との出会い」には非常に興味もある。別にドラマ性を求めたいわけでもないのだが、ひとりひとりに想いが存在しているといっても過言ではないのだ。 選手、監督は変わっていくが、サポーターは死ぬその日までクラブのサポーターだ。なんてことはない土日の試合を見て元気をもらっているという大先輩も、試合の最中、今まさに生まれそうな赤ちゃんも同じ。まさに「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん」だな。 ※書いていたら三国志を読みたくなってきた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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