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ジョホールバルなんで。<その3>

10月に入ってからのシンガポール、マレーシア出張から宮城蔵王での会合、そして10周年を迎えたレゴ®シリアスプレイ®イベントでかなり体力を消耗してしまった。今日の夜にもイベントに参加する予定だ。体調の調整を行ないながら頑張って生きていこうと思う。

もうジョホールバルの記憶が薄れてきてしまうアラフィフとしては、なんとか文章として起こしておかないとどうも忘れる。このブログは初老の脳構造と化している。そんなものを読まされる方への配慮が全く足らず、毎回毎回本当に申し訳ないと素直に思っている。

さて、昼飯でも食べようとラルキンスタジアムをあとにしようかとしたが思い直してスタッフの方にお薦めのランチは無いかと聞いてみた。そうすると「近くに一軒ある。ローカルのレストランだが大丈夫か?」と問われたので、二つ返事でその店に行くことにした。

スタジアムのすぐ脇、バトミントンの練習場の横にそのレストランはあった。スタッフは店まで付いてきてくれて丁寧に注文までしてくれた。マレーシア人しかいない中で、日本人二人でナシゴレンを食べることになった。うん、意外にというと失礼だが美味かった。

そして支払いをしようと店員を呼び、話しかけたが、どうも反応が悪い。「ハウマッチ」が通じない。どうも英語が駄目のようだ。店員が何人も出てくる。しかしながら何も分かってもらえない。仕方なくキャッシュを一枚ずつ出していく。そんなやり取り悪くない。

21年振りだったジョホールバル・ラルキンスタジアムへの旅はこうして終わった。わずかばかりだけ当時を思い出すことができてよかったという気持ちと、それでもまだ記憶の半分も覚えていないことへの懺悔の意味も込めて、また改めてゆっくりと来てみたい思う。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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