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企業は生き物。企業は花。

近所は台風一過。朝から30度近く気温もあがりかなり息苦しい。これから東北地域や北海道地域には影響がでそうだ。日本列島を南から北へ縦断する台風を今年いくつ見てきたのか分からないくらいだが、甚大な被害が出ている地域もあると聞く。まずは身の安全を。

出不精な身として、この日曜日は愛犬の散歩(辛うじて行けた)以外の外出を控え、溜まっていたドラマなどを見ることにした。そのひとつが「ラストチャンス再生請負人」。存続の危機に瀕した企業を再生する社長とその仲間たちの熱い物語という結構好物な内容。

といいたいところなのだが、中身はそれほど美味しく感じるものでもなかった。まあ、次から次へといろいろな災難が降り掛かってくるところは、我が身にも起こった様々なできごとを思い出したり、と自分たちに重ねて見てしまっていておかしくなったのだが(笑)

そういえば昨日、長居店閉店に際しいくつかの手続きをしていたもののなかでひとつだけ不備があったとの通知があったことに気づいた。急いで手続きを行なったので事なきを得そうなのではあるが、ある意味、改めて節目節目でのチェックの重要性に気付かされた。

企業は生き物だ。企業は花みたいなものだ。毎日毎日世話しないとしおれてしまう。水をあげないと枯れてしまう。毎日毎日の積み重ねが企業を会社を生かしていくんだなという部分だけは学べた気がする。今、本当に自分たちがそれを実践できているかどうか、だ。

来年に向けてそろそろ動き出さなくてはならない。先日もある方から「次の店、いつ?」と問われ答えに窮した。きれいな花を咲かせるための種を蕾を探す旅に毎日追われることになるだろうがそれも積み重ねのひとつ。花は人の努力を裏切らないらしい(我辞典)。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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