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2018年のスタートにあたり。

年男としての2018年がスタートした。そんな一年の事始めをサッカーでスタートできる幸せを噛み締めながらこのブログを書いている。過去3度と違って初めて東京で迎える元旦サッカーの朝は清々しいものである。気持ちが高ぶってくるのを抑えきれない。

そして今年はワールドカップイヤーであり冬季オリンピックがあり他にも多くのスポーツとも触れ合える一年になりそうだ。特に20年振りになるロシアには1試合でも良いから行きたいと思っており、これからスケジュールに四苦八苦する可能性が大だろう。

そんな中で最も注目していくのが勿論アジア・チャンピオンズリーグ。重要なスケジュールを決めるのが今日の天皇杯決勝であるということ。だとすると今日の試合は本当に今年を占う一戦になるわけで、勝つと負けるとでは雲泥の差を生み出してしまう。

休むと気持ちが緩んでしまうので常に何か考えていたい僕と比べれば(比べる必要がない)選手には疲労回復やリフレッシュも必要で、ちょっとでも多く取れるようにしてあげたいと多くのセレッソ大阪ファン・サポーターは皆考えているものと思う。

今日の試合はそんな様々な想いと葛藤と自信と不安を抱えて戦う。2017年シーズンに3勝している相手であったとしてもそれほど簡単な試合で無い。昨年は昨年、今年は今年。気持ちをひとつに、静かな闘志と誠実さを持って。今年もそんな戦い方が続く。

何はともあれ新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
常にまごころを持って誠実に生きてまいります。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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