スキップしてメイン コンテンツに移動

時間が創り出す”歴史”の物語。

今までタイトルとは無縁だったチームがカップ2冠である。チームというものはちょっとしたきっかけで変わるもの。会社の管理職にとっては喉から手が出るほどそのノウハウが欲しいと思うであろうセレッソ大阪の2017年の躍進ぶりではないだろうか。

元旦の天皇杯決勝の録画を見た。ニュースでも感じていたのだがヤンマー時代から通算で43年振り4度目の優勝というフレーズに、何か足の裏を刷毛でコチョコチョされているような感覚がある。やはりこのクラブの”歴史”というものを感じざるを得ない。

アッパースタンドで久しぶりに宮本代表理事と会った。前回のルヴァンの時も電車の中で横井さんにバッタリ会って、その試合を勝ち取ることができたので何とも縁起が良い。やはり共に昔から戦ってきたアミーゴとこのような試合を見れるのが感慨深い。

宮本さんも元気そうで何より、というより、森島さんを見てもそう思ったが、プロのサッカークラブとしてスタートし、いきなりの天皇杯決勝を戦ったあの日を思い出してしまった。それだけで、胸の奥が熱くなった。1995年元旦の天皇杯決勝。

その試合。気持ちが舞い上がりすぎて何もできないままベルマーレ平塚に2-0と敗れる。僕の天皇杯の歴史はそこから始まった。2002年には清水エスパルスに延長Vゴールで、2004年の決勝はジュビロ磐田相手に何もさせてもらえず完敗した、この合計三試合。

思い残すことはもう無い、このまま死んでもいいというと大げさではあるが、それくらい天皇杯のタイトルが喉から手が出るほど欲しかった。セレッソ大阪の選手が天皇杯を掲げるシーンを生きている間に見ることができ、これ以上の喜びはもう無いかもしれない。

しかしながら、1995年、2002年、2004年。この三試合があったからこそこの勝利があったと思いたいオールドファンではあるのだが、周りにいた若いファンの方々を見ていても、当然のことながらそれだけではないことも肌でひしひしと感じている。

時代は巡っていて変わり続けている。そして人の想いも気持ちも変わり続けている。でも変わらないのは勝利という結果。勝てないチームから勝てるチームへと変わり続けた末の賜物であると考えるとこの三試合は単なる”歴史”の一部でいいのではないだろうか。

選手、ファン・サポーターやクラブも今躍動しているのはその時代を体感していない若い方々が多い。そして、そんな彼らの後ろにはその単なる”歴史”を毎年毎年積み重ねてきた先輩方が、きめ細かくフォローし前に進む手助けをしているのだろう。

そしてそれは淡々と受け継がれるだけではない。たとえ単なる”歴史”であったとしても地に根を構える樹木のように、幾重にも縞を織りなす地層のように、足元を見るとそこに存在している。そんな様々な思いが詰まった台地の上に今、彼らは立っている。

時間が創り出す”歴史”の物語は本当に偉大だ。強き心と弱き心。続けていく力と道半ばで挫けた思い。愛語る言葉と愛されることに疲れた者。今ここにある命ともうここにはない魂。その全てが”歴史”として刻まれる。そんな今だからこの言葉が一番心に響く。

「セレッソ大阪、今ここに・・・」

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP