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文章や言葉が「行動」を促すとしたら、僕には何ができるだろうか。

コロナ禍で人の心が傷んでいる。態度や姿勢、そして、言葉にも傷みが多く含まれているようにも思える。だが、こんなときでも、人に優しく寄り添う、勇気を与え合う日常があるからこそ、人間は生きていくことができるのだ、と僕は思う。

少し前の話なのと、僕の好きな幕末明治の話であることをご容赦いただきたい。薩摩藩士の五代友厚を描いた映画「天外者」。このなかでの、今は亡き三浦春馬さん演じる五代が最後に語る言葉。まさに人々に多くの勇気を与える演説に見えた。

幕末明治を語り出すと止まらなくなるが、この五代友厚。大阪の経済のために尽力した偉大な人物であり、そしてその裏では多くの謎も秘めている人物だと僕は見ている。50歳を迎えることなく亡くなったが、まさに波瀾万丈とも言える人生だ。

たったひとりの力でどうにかなるわけでは無い。日本全国の経済が循環しない今も、多くの方のご苦労とご尽力によって、なんとか耐えに耐えている。こんなときだからこそ、言葉や文章の持つ力は、人が勇気を持つための源になるのだろう。

さて、ある研修に参加した。研修の主な内容とは「文章の書き方」。何だか当たり前のように復習的意味合いでいたものの、改めての学び直しでは多くの気づきを得ることもできた。そのなかのひとつが「その文章の持つ目的は何か」だった。

要は、文章は「読ませる」ために書くのではなく「行動させる」ために書くのだということ。勘違いしていたわけでもないのだが、どうしても読んでもらうためにはどうするかばかりに目が行ってしまいがちだ。僕もそのひとりなのだと感じた。

セレッソ大阪が先日、監督スタッフおよび新加入選手の記者会見を行なった。レヴィー・クルピ監督以下ひとりひとりの言葉を耳にする。もちろん弁が立つ選手もいればそうでない選手もいる。当たり前でもあり仕方のないところかもしれない。

人を「行動させる」文章そしてそこに含まれる言葉というものには計り知れない力がある。特に外国人監督の持つ独特の世界観と言い回しは、選手たちの心や身体を動かすパワーの源泉があるようにも思える。個人としても見習うべきところだ。

思えばこの駄ブログも、様々なプラットフォームを巡り巡って、もうかれこれ20年以上書き続けている。どれだけのサポーターの「行動」に影響があったかなど考えて書いてもいないので知る由もないが、少なくとも自分の意識だけは変わった。

暴走気味だった20代、サッカーショップ蹴球堂を立ち上げた30代、故郷の大阪を遠く離れた40代を終え、自分の人生の最終局面とも言うべき50代で、一体何を書き何を伝えることができるだろうか。「言葉」の価値をもう一度考えたいと思う。

北浜の大阪証券取引所に、また、大阪商工会議所の脇にあった五代友厚像はまだ存在しているのだろうか。なかなか大阪にも戻れていないのではあるが、帰阪の際には立ち寄ってみようと思う。そして大阪市立大学の像や阿倍野の墓碑にも併せて。

大阪の経済がこのコロナ禍であっても盛り返せるよう、何か少しでもできないかと考える今日この頃。この五代友厚のように表裏あってもいい。考えと行動の両立としての「知行合一」。まだまだ不完全で未熟な僕ではある。何ができるだろうか。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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