日本国民にとって様々な思いが集まった東京オリンピックがいよいよ最終日を迎えている。想定できた事柄、想像を超える出来事など、言葉や文章だけでは表現できないようなシーンの連続。これが「スポーツの力」なんだろうなと感じている。
そんななか、一番の楽しみであったサッカー競技では、男女ともに非常に厳しい現実を突きつけられたように感じている。母国での今回のオリンピックでの無観客のスタンドを見て、ファン、サポーターの重要さや必要性などを強く考えていた。
三位決定戦は結局、仕事の関係でリアルに見ることができなかった。結果は知っていたものの録画した映像を翌朝視聴した。日本の夏、中二日の強行日程と、限界に近い選手達。次の一足、最後の一足が出てこない姿をひたすら目で追っていた。
僕らファン、サポーターが代わってやれるはずもない。彼らの身体的な疲労を回復させることはほぼ不可能だ。だが、僕らには声があり、クラップがあり、何より彼らを心の底から支えようとする「スピリット」「マインド」が備えられている。
僕らは、それらの武器をなかなか活かせない、もどかしい日々を過ごしている。セレッソ大阪サポーターだけを見ていても、毎週木曜のウダ夜に話をしていてそう感じてしまう。いま、日本全国のファン、サポーターの気持ちも同様なのだろう。
コロナ禍となって以来、もうかれこれ、一年半以上は大阪に戻っていない。自分自身もそうだが、もとより、東京に住む者としての、自分の周りの方々への配慮の気持ちが非常に大きい。時間の経過とともにそれが限界に近づいているのも事実。
東京パラリンピックが8月24日から始まる。ここでも無観客競技が行なわれるなかで、僕らファン、サポーターの「声」と「クラップ」が選手に届きにくい。次の一足、最後の一足を、選手個人に託さなければならないのが、本当に寂しいのだ。
僕のその限界を乗り越えさせてくれるのも、アミーゴの「声」や「クラップ」。だから僕は今もここに生きている。僕らはスポーツを愛し、そしてスポーツから多くを学ぶ。ウィズコロナでのオリンピックを開催した国、日本。もう少しの時間。
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