先週、誕生日を迎えた。もう、祝う歳でもないのではあるものの多くの方からのお声をいただき、さらに精進しなければと強く感じている。歳を取れば取るほど、心と身体のバランスを意識していかねばならないことを強く感じながらの毎日だ。
この、心と身体のバランスのひとつに、セレッソ大阪というパラメータがある。サッカーには勝ち負けが存在し、それは時の運でもあるのだが、ゲームのひとつひとつに一喜一憂してしまう。どちらに振れても、心と身体への影響力が半端無い。
さて我らがセレッソ大阪にとってのJリーグ。この道のりはなかなか勝ちにたどり着けていない。ストレスが溜まり、心身のバランスへ負担をかける日々でもある。しかも、シーズンが終盤へ近づくにつれて、あっちこっちへと転移してしまう。
これは愛のせいだ。愛、という名詞と、愛する、という動詞を人は持っていると7つの習慣では書かれていた。愛は瞬間瞬間の表現であり、逆に愛するという行為は時間の概念である。文字どおり愛し続けるという連続する刹那なのでもあるのだ。
我がセレッソ大阪はこの、愛する、という連続体のなかで息をしている生き物のようである。そしてその血や肉は、ファンやサポーターの思いによって構成されているのだ。クラブとはそういうものであって、それ以上でも、それ以下でもない。
今日、ワクチンの二回目を接種してきた。僕の心身すべてが満たされるわけではないのだろうが、まずはひと安心している。先日のハッピーバースデーソングとこのファイザー製の液体が、心と身体のなかを駆け巡っている。まずはそれでいい。
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