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第31節 大宮アルディージャ戦。

今更ながら「世界から猫が消えたなら」を見た。柄にも無く号泣寸前の状況を誰にもバレなかったことだけが救いである。原作は読んではいたものの原作と比べても映像がこれだけ素晴らしいものになる作品は珍しいなと感じた。

それ以上に「周りから何かなくなっていく」ことへの恐怖。映画ほどではなかったにせよ、個人的にもいくつもの出会いと別れを繰り返してきた人生だし、そんな中での葛藤も少なからずあったから、自分の大事なものが消えていく恐怖に胸が痛くなった。

そして、サッカーにおいても多くのものが目の前で消えたり失ったりしてきた。その度その度感じたのはクラブへの愛、仲間との絆、そして、絶対に「取り戻す」という強烈な自己肯定。それらの言葉だけで僕らは前に進んでこれた気がしている。

2017年のJリーグもこの試合を入れて残り4試合。天皇杯そしてルヴァンカップを合わせても7試合という中で、我がセレッソ大阪は終盤に差し掛かっても尹晶煥監督のもと素晴らしい戦いを続けていると思う。但しこの試合の終盤だけはちょっと勝手が違った。

前半の早いうちに11対10という数的優位に立ったことで奢りが出たとかは全く感じなかったが、2点目を取った後で見えた緩みというかなんとも言えない状況に腹立たしさを感じた。ちょうど中休みする時間帯でもあったので足が止まるのは仕方ないにしても残念だった。

とは言え、ボランチ二人は相変わらずの運動量だし、得点こそ2点で止まったがあのコンディションの中でも結果を出せたことに満足しているところもある。いい流れで週末に向かうことだけを目標にしていたわけではないが、上々の出来ではないだろうか。

珍しく、他のクラブの中継を見た。柏レイソルと川崎フロンターレの試合は正に田んぼの中での試合のようだった。しかしながら、この雨だからピッチだからかも知れないが、両チームとも総力戦と言うか物凄い気迫と気迫の戦いになっていた。何故か感動した。

雨は嫌だが、選手とサポーターの距離を近づける接着剤のようでもある。共に戦っている感が増すのも確かだがそれだけではない何かを雨は持っている。この世界から雨が消えたなら、僕らのSOULやSPIRITはリミットを超えられない。そんな気もする。

日本列島はまだまだ予断を許さないが、今週末の埼玉スタジアムは僕らを最高の状態で迎えてくれるものと思う。雨中の戦いで僕らは更に強くなった。2000年のあの時も2006年のあの時も確か雨だった。今度こそ何かを「取り戻す」時かもしれない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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