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思いと共に前に進む。

多くの予感が朝からあった。しかしながら勝負は時の運。悔しい思いをする度に肝に銘じてきた。やっぱり、うちにはうちの川崎には川崎の様々な思いが存在する。そんな感情のひとつひとつが積み重なってこの試合がある。歴史の重みというものを感じる。

とは言いながら、カップ戦を一つ取っただけの通過点であることは選手もサポーターも分かっている。目標は更に高いところにあり、これからもっと険しい道を行くことになるが、この一勝がこの優勝が大いなる歩みの一足でもあるのだと信じてやまない。

その一足を踏み出させたのは間違いなくゴール裏サポーターなのだろう。前日に話を聞いていたカップのコレオは本当に素晴らしいものだったし素直に感動した。殆どの時間を支配された中でも、声で拍手で選手を後押ししていたのは間違いないと思う。

試合終了までの数分間、心の中で「POWER AND THE GLORY」を口ずさみながら森島さんのことを考えていた。この瞬間に、このふたつの思いが胸中に現れて良かった。歴史に歴史を積み重ねて君らは生きていくのだとサッカーの神様に何となく言われた気がした。

改めて、歴史は「変える」ものではなく多くの歴史の上に「創って」そして「刻む」ものだと理解した。僕らはこれから、またひとつひとつ歴史を積み重ねるため、数え切れない程の思いと共に前に進む。たとえそれが苦悩する茨の道だと分かっていても、だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


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 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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